2007年8月18日土曜日

博多山笠(追い山)TV中継を観る

平成19年7月15日のこと
 前日午後2時頃、大型で非常に強い台風4号が大隈半島に上陸し、午後5時頃日向灘に抜け四国の南海上を北上した。台風が九州から離れたので、吹き返しの風はあるものの追い山は実施できることになり、櫛田神社(祇園)の神の神威を感じた。ただ強雨は続き、気温も下がっているので、追い山は冷雨の中での実施となった。
 4:15~6:00、NHK-TVで博多山笠の中継を観た。今は観るだけになった。アナウンスによると、博多山笠は766年の伝統があり、清道旗の回りを一周することで山を神に奉納する神事ではあるが、あわせて7つの流れがタイムを競う遊興でもあるという。つまり、重さ1トンの舁き山(山笠)を担ぎ、①「櫛田入り」のタイム(スタート地点の山留めから清道旗を回り出るまで)と、②全コース5kmのタイムで競うのである。
 すべての山笠は、420年前に行われた太閤町割りを基本にした7つの流れという町内組織のいずれかに属している。1番山笠には、博多祝い唄を歌える特権が与えられているが、この唄に1分かかるので、スタート地点の山留めを4:49に出発し、「櫛田入り」のタイムを1分マイナスする。この後、4:55から5分ごとに順次各流れが出発する。
 今年の「櫛田入り」の順序は、①土居流、②大黒流、③東流、④中州流、⑤西流、⑥千代流、⑦恵比寿流。これに加えて番外の⑧上川端飾り山である。なお、今年の櫛田入りタイムのトップは、千代流れ(32秒69)であった。
 一番山笠(土居流れ)が「櫛田入り」した後、番外8番目の飾り山(上川端)が「櫛田入り」を終えるまで、台風4号通過がもたらした強雨の中での走行であったが、櫛田神社境内の桟敷席やその近くの路上で観覧している客は、雨合羽姿で誰もが傘をさしていなかったので、さすがと思った。神に対する敬意の心得だと思う。神は、奉納される山笠を傘を差したりして観てはおられない。山笠の笠は傘に通じるので水に濡れるのは当然のことだろう。  
 「清道旗」は、次の3か所に立っている。
 ①櫛田神社(疫病退散の神を祀る祇園宮がある。なお、境内には松尾宮があり、多は、誕生日がまさに追い山の本番である7月15日で、その神を守り神としているので、ある種の品位才覚と情の強さを兼ね備えているのではないかと思う。戦前には近くに松尾屋という料亭があり、当家は松尾宮の禰宜でもあった)。
 ②東長寺(806年、平安時代弘法大師空海が建立した真言宗別格本山で、神仏混淆時代には櫛田神社をその管理下に置き、住職が櫛田神社の神官を兼ねていた。その歴史を重んじて今も山笠が奉納されているのだという)。
 ③承天寺(1241年、博多で疫病が大流行したとき開祖聖一国師病魔退散の祈祷を行い施餓鬼棚(お供え物の棚)に乗り若者たちに担がせ町中を回わり聖水を撒いた、これが博多山笠の起源となったといわれている。山笠に水をまくのはその聖水の意味もあるのだと思う。また、ここは山笠が回転するもっとも狭い場所でもある)。
 山笠は、この後、御供所町(旧東町筋)の狭い道路に入る。この道筋の先の、旧海岸線部分に約100mほどの急勾配があり、かなりのスピードが出る。大博道路に入ると、道幅が広くなるので頻繁に舁き手が入れ替わることができるものの、進行方向の目標が定めにくいので山笠はかなり蛇行して走る。冷泉町(権藤通り)に入った後、旧西町筋に曲がる狭い交差点(クスリのハカタ第一前)があるが、ここは舁き手の腕の見せ所といわれる。そして、廻り止め(須崎問屋街)までを約30分で駆け抜け終点となる。
 なお、飾り山には、よく川中島の決戦が題材にされるものの、どういうわけか舁き山に武田信玄を作ると不吉というジンクスがある。博多山笠の流れのもとになる太閤町割りを作った豊臣秀吉(西流れに属する奈良屋町にある豊国神社の祭神)に滅亡させられた武田勝頼(信玄の子)の怨念があるのであろうか。3月に9年勤められた西流の人形師の急死は悼まれる。

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