2008年10月28日火曜日

「北里柴三郎と出会う旅」の案内を見て

  TIP(旅行会社)のHPに「歴史ナビゲーター(井上政典)と行く感動初体験!!歴史上の偉人から元気をもらう旅」の企画があり、その第1弾は、「北里柴三郎と出会う旅」で、行先は「北里柴三郎記念館」とあった。このHPを見て昨年夏、「北里柴三郎記念館」に行ったときのことを思い出した。
  私が北里柴三郎について知っていた知識は、
①小学校の頃、「北里柴三郎は、明治時代に日本が生んだ世界的な細菌学者(破傷風菌の純粋培養法の確立と血清治療を発見)で、第1回ノーベル医学・生理学賞の候補にあがったが、当時、白人は黄色人種に対する偏見があり受賞できなかった」と教わったこと。
②奥様の名前が松尾トラだったこと。
③私は学生時代の一時、青山墓地下のアパートに住んでいたが、近くの青山墓地に北里柴三郎の墓があったこと。
④結婚当初、神奈川県に住んでいたが、相模原市北里にあった北里大学相模原キャンパスの前を車で通ったことなどで、何かしら北里柴三郎の名前だけはずっと記憶していた。ところが、それ以外の詳しい伝記などは知らず、まして、その生家が小国町(熊本県)にあったことなど、昨年夏まで知らなかった。
  昨年夏、杖立温泉(大分県・熊本県の県境)に宿泊した日、小国町方面をドライブしている途中、「北里柴三郎記念館⇒」の看板を目にしたとき、「何でこんなところに北里柴三郎記念館があるのだろう?」と思ったくらいであった。とにかく行ってみることにして、⇒の方向に進んだ。山間の曲がりくねった小道を通り抜けると急に視界が開けた。北里柴三郎記念館は、その右手の高台にあった。ここで初めて北里柴三郎の生誕(1852 [嘉永5]年)地が小国町北里であったことを知った。
  この記念館の敷地内に移築・復元された生家の一部(1895[明治28]年、両親が東京に移住後、解体されたときに残された座敷2間)の、開放された2階の座敷から眺める景色は絶景だった。当日は、真夏なのに、涼しい風が吹き込んで気持ちがよく、晴天の青空の下に広がる湯蓋山の山並みと盆地内に広がる田畑の風景に見とれ、しばし癒しの空間を味わうことができた。なお、実際の生家は、この台地の下の北里川沿いに建っていたようで坂下屋敷といわれていたらしい。
今回、TIPの企画には、日程(11月8日or15日)の調整ができないので参加できないが、また行ってみたい場所ではある。なお、私が通った道は旧道で、観光バスは、後方の丘の上のパイパスを通ると思う。

2008年10月27日月曜日

九州古陶磁の精華展最終日に滑り込み見学

  昨日、「九州古陶磁の精華(田中丸コレクションのすべて)」展(最終日)を見学した。「田中丸コレクション」とは、福岡玉屋(現在廃業)の創業者田中丸善八氏(1898~1973)が生涯をかけて蒐集した約400点の九州古陶磁のことをいうが、そのうち今回181点が展示されていた。
  チラシのトップに「唐津 鍋島 柿右衛門」とあり、鍋島焼の「色絵蕎麦花畑文皿」(掲載画像参照/実際の彩色は画像の青よりはやや薄緑色)や「色絵茶摘文釜」の写真が、その表紙を飾っていたが、佐賀県・伊万里焼、長崎県・現川(うつつがわ)焼、福岡県・上野(あがの)焼や高取焼、薩摩焼(鹿児島県)のほか、現存点数が少ない須恵焼(福岡県)などの陶磁もあり、多彩であった。
  私は、展示品のなかで「菱口水指共蓋(17世紀中期、高取焼白旗山窯)」に釘付けになった。この菱口に合致させる共蓋、どうしてこういう精巧な陶器ができるのだろう。17世紀に既にこんなすごい技術があったものだ。写真を撮ることができないので、ボールペンでデッサンをしようとペンを出した途端、係の人に注意された。まったく恥かきものだった。
  高校生のとき、高取焼白旗山窯の発掘調査に参加したことを思い出した。当時、大量に発掘した陶器は、壊された失敗作の破片の数々だった。その一部は、現在も嘉穂高校郷土部に保存されているかもしれない。数えてみたら、それから既に48年経っていた。
  また、学生時代、たしか博多区川端町にあった有田焼今衛門の店舗で先代今衛門氏にこれからの商売の手ほどきを受けたこともあった。考えてみると、これまで自らが歩いてきた人生(生活)は、若い頃の夢や趣味から遠く離れてしまっている。
  故養母宅には、養母が大事に保管していた今衛門や柿右衛門作ほかの陶磁がかなりあったが、養母が亡くなったとき、内夫(私の育父)がそのすべてを道路に並べて放置した。瞬く間に通行人が持ち去ったという。彼は、叙勲記念に柿右衛門の絵壷を贈られ大事にしていたが、養母が所有していた高価な陶磁にはまったく興味を示さなかった。したがって、当家には今で言う「何でも鑑定団」に出すような陶磁はない。
  当家にあるのは、高価なものではないが、唐子が描かれている「景徳鎮の花瓶」である。いつだったか、岩田屋家具即売会に行ったとき、飾りの置物として置いてあったに花瓶に目が留まり、無理を言って売ってもらったものである。
  豪華な田中丸コレクションの数々に感嘆しながら、私と陶磁にかかわるささやかな思い出が頭をよぎった。
※画像は田中丸コレクションのすべて【うまか陶】http://www.umakato.jp/library/tenrankai/09-05.htmlらかお借りしました。

2008年10月26日日曜日

今夜のスタポーは素敵なタイミング

  今夜は、楽しみにしている「魅惑のスタンダード・ポップス」が1か月ぶりに放送(BS2 PM7:30~8:58)される日。司会は、いつものように井上順、新妻聖子。
  今回の「ワンテーマ・メドレー」は「素敵なタイミング」で、今夜もきっと新妻聖子のわくわくするような素敵な歌声で開幕し、一緒に笑顔で「素敵なタイミング」を口ずさむことになるのではと思っている。
  今夜の出演は、ムッシュかまやつ、勝野雅奈恵、サーカス、つのだ☆ひろ、ミトカツユキ、Rina、masumi。若い歌手からベテランまで、そうそうたるメンバーが並び、どんな曲で競演するのか楽しみである。
  「ポップスの伝説」は、「ムッシュかまやつ」。そして、勝野雅奈恵の「フラダンス講座」もある。また、「スーパースターメドレー」は、「パット・ブーン」を取り上げるという。
  この番組が収録された9月17日の新妻聖子ブログを見ていると、収録中に、「知念里奈ちゃんが遊びに来てくれたんですよー!!…ずっとニコニコして拍手で番組を盛り上げてくれた知念ちゃん、…もしかしたら…知念里奈ちゃんが映り込んでいるかも…皆様はそちらもお楽しみに(笑)」と書いてあった。本当に客席に知念里奈が写っているだろうかな? 宝さがしをするみたいで、これも楽しいかも。
  この二人は、ミュージカル「ミス・サイゴン」では、ダブルキャストで主役キムを演じているが、本当に仲がよさそう。
 ※画像は、新妻聖子と知念里奈。新妻聖子ブログ(2008.9.17)からお借りしました。

2008年10月25日土曜日

博多座はミス・サイゴン上演を想定して設計

  ミュージカル「ミス・サイゴン」の観劇予約日のキャストを見ていたら、ジジ役は、桑原麻希と書いてあったので、桑原麻希の力強い声量とダンスステップを観賞できると期待していたが、今日改めてキャストを見直したら池谷祐子に替わっていた。桑原麻希は、どうも今回の博多座公演には参加しないことになったようなコメントがあり少し残念。
  桑原麻希と入れ替わって出演することになった池谷祐子のことは、まったく知らないが、東宝ミュージカルアカデミー第1期生で、彼女が歌う「THE MOVIE IN MY MIND」の声調はすばらしく、ジジの切ない想いや苦難に立ち向かおうとする勇気が伝わってくるという。このことを耳にして、新たな楽しみができた。
  ところで、なぜ、博多座は、その開場10周年の節目にあたる記念公演に「ミス・サイゴン」を選んだのだろうと思っていたが、今日手にした雑誌「World Joint Club vol.33」の「ベトナム⇔福岡」の頁を読んでいてやっとその意味が理解できた。
  この雑誌には、「オリジナル版ミス・サイゴンの上演には大がかりな装置を要するため、これまで国内では帝国劇場のみで上演されてきました。しかし博多座は計画段階から本作の上演を想定して設計されており、10周年という記念の年に、ついにその夢を叶えることになった」と記されていた。
  確かに実物大のヘリコプターが登場して爆音を響かせる舞台装置など、スケールが大きい。博多座は、既に10年前にそこまで想定して建設されていたのか、改めて認識しなおした。
※画像は池谷麻希。「博多座ミス・サイゴン」http://www.tohostage.com/miss_saigon/top.htmlからお借りしました。

2008年10月20日月曜日

「ミス・サイゴン(博多座)」チケットを先行予約

  いよいよ25日、来年1月5日から博多座公演が始まるミュージカル「ミス・サイゴン」のチケットの一般発売が始まる。
  博多座メールマガジンで、博サイ会員には19日10時~13時に先行予約の受付を行うとの通知があったので、早速、当日、指定された電話番号にダイヤルした。1回目は話し中、2回目は混みあっているとの音声が流れた。少しあせったが、3度目にはすんなりとつながった。後で分かったことだが、電話がつながらず予約できなかった人が多数おられたようで、そうしてみると私は運がよかったのかもしれない。
  最初から第1希望日は、筧利夫(エンジニア役)と新妻聖子(キム役)が出演している日としていたが、希望どおりのチケットが取れたので嬉しかった。
  なお、この日のクリス役は原田優一。原田優一は、10月12日福岡アジアマンスのステージ(福岡市役所前広場)に笹本玲奈(キム役)と出演、劇中歌を披露し、「この作品のテーマは究極の愛で、愛にはいろんな形の愛があると思うのですが、たとえば恋人との愛だったり、親子愛だったりとか、そういうのがギュウっと詰まった作品なのでいろんな人に楽しんでいただける」と作品のPRもしていた。
  筧利夫は、最近、「NHKクラッシックミステリー名曲探偵アマデウス」(日曜PM11:00、BS2で不定期放映)に、共演の黒川芽以(助手響カンナ役)とともに出演している。この番組は、毎回、数々のクラッシックの名曲が生まれた背景やその意味するものを謎解きしながら、その魅力に迫るものだが、元指揮者天出臼夫役の筧利夫の冷静沈着な謎解きを見ていると、どんどんクラッシックの魅力に引き込まれて行く。それだけに、ミス・サイゴンで、この筧利夫が演じる舞台を観たいと思っていた。
  新妻聖子は、台詞戯曲「サド侯爵夫人ルネ」の舞台やTV「堀部安兵衛」の女剣士伊佐子役などを演じ、私はそのすばらしい演技を観て以来ファンとなった。昨年9月、ミュージカル「レ・ミゼラブル」を観劇したときは、エポニーヌ役が笹本玲奈だったので、今回は、何としても新妻聖子がキム役で出演しているときに観たいと思っていた。
  ミス・サイゴンの背景にある時代は、ベトナム戦争前後の時期なので、私の青春時代と一致する。ベトナムの悲劇に憤りを感じて育った世代なので、この舞台は機会があれば観たいと思っていたが、涙するのかも知れない。
 ※画像は筧利夫。博多座「ミス・サイゴン」公式HP(
http://www.tohostage.com/miss_saigon/top.html)からお借りしました。

2008年10月15日水曜日

手軽に癒しを楽しめる「御にほひ立」

  先日、「御にほひ立」なる品(左の画像)を頂いた。最初、この品名を見たときは、どんなものなのか見当がつかなかった。和紙で包まれた紙箱の蓋を開けたら、強い「御香のにおい」が部屋中に漂った。ここで初めて「御にほひ」とは、「御香のにおい(にほひ)」のことなのだと気付いた。
  箱のなかには、桐板で作られた切り立った三角形の小箱が入っていた。表面に季節の絵が描かれた二枚の桐板(縦11cm横7.5cm)の裾近くの内側に切り込みがあり、そこに巾3cmの桐板を差込み、倒れないように固定してある。
  この三角形の裾部分の空間に小さな引き出しがあり、そのなかに「御香袋」が入っている。「御香のにおい」は、ここから発散されていたのだ。なるほど、御香のにおいが立っている桐板から発散しているので「御にほひ立」というのか。また「御香のにおいが立ち上る」という意味も掛けているのかもしれない。
  また、この鋭角の三角形の組み立て方は、感謝と相手を敬う心を表す「合掌」の姿でもあるという。つまり、中空金剛合掌の掌形を抽象的にデザイン化した形なのだろう。
  2面の桐板の各表面に描かれている季節絵は、「中秋の名月と薄」と「春爛漫の桜」で、それぞれ型彫り技法の絵付けされている。これとは別に、夏・冬の風物絵を描いたものがあり、2組で四季揃えとなっているらしい。
  これまで、御香のにおいを漂わせるものとして和服の着物に忍ばせる「匂い袋」や修験者等が所持する黒檀又は紫檀の「香合(塗香入れ)」は知っていたが、この「御にほひ立」についてはまったく知らなかった。
  これは、部屋に置いて楽しむものらしく、香りの詰め替えもあるようで、今流行りのアロマに対抗して作られた新案意匠なのかもしれない。
  なお、発売元は松栄堂(京都市)だが、私が仏間で常時使用している名香「好文木」の発売元は梅栄堂(堺市)なので、その店名は松と梅の違いこそあれ、実によく似ている。共に関西を代表する御香の老舗である。
  玄関の下駄箱の上に「御にほひ立」を置いた。箱を開けたときほどの強いにおいはなく、ほのかに漂う程度である。外から玄関に入ってきたとき、きっと、このにおいで心身が清められることだろう。
  ときどきパソコンの前に持ってきたりもしているが、ただ置いておくだけでよいので、まったく手がかからず御香のにおいを楽しむことができる。多忙で疲れきっている現代人にはピッタリの癒しの品となるのかもしれない。

頂いたベリーダンサー添田直子さんの画像

  以前、「ベリーダンス万歳!…(2008年9月21日)」のなかで、大分にスタジオを開設され、大分・福岡を拠点に活躍されているベリーダンサー添田直子さんのことを紹介しましたが、現在、添田直子さんは、その活躍範囲が日本全土に広がっており、多忙な日々を送っておられるようです。
  そのお弟子(女子生徒)さんたちが、師である添田直子さんのことを口々に「とても美しい人で惹き付けられます」「(ベリーダンスは)最高です」と言っておられるように、素人の私が見ていても、彼女の均整のとれた容姿とベリーダンスの踊りはとても魅力的で優雅、その美しさに引きこまれます。各種イベント、アトラクションの舞台で演じていただけたら、きっと楽しい思い出ができること請け合いです。ぜひ「ベリーダンス添田直子」さんのHPもご覧になってください。
  ところで、数日前、知人(カメラマン)が、ソロダンスを踊っている添田直子さんの画像を送ってくれました。この画像の彼女の容姿、そして身に付けている衣装も素敵です。私だけがこの画像を持っておくのも勿体なくて掲載しました。
  ※画像は、ベリーダンサー添田直子さん。

2008年10月14日火曜日

悲母観音(芳崖の絶筆)完全再現版の完成案内を頂く

  小学館から「悲母観音完全再現版誕生」のパンフレットが届いた。
  左の画像は、東京藝術大学大学美術館20世紀の切手と美術>に載っていたもので、この画像の切手は、1979年5月30日近代美術シリーズ第1集として発行された「悲母観音(狩野芳崖の絶筆1888年制作・重要文化財)」である。
  現在、下関市立美術館で開催されている「狩野芳崖悲母観音への軌跡」で、原画が展示されている(11月5日まで)。狩野芳崖(1828~1888)の生誕180年、没後120年を記念してというが、同じくこの年忌を記念して、小学館からこの「悲母観音の完全再現版掛軸」が発行された。
  パンフレットを見ていると、東京藝術大学(1887年創立)が創立120年の「満を持して世に送る、初めての作品」と銘打っている。デジタル化に伴う印刷技術の進展に意を決し、所有する多数の美術品のなかからこの作品を選んで、初めて「複製」制作したものらしい。
  今回、東京藝術大学の正式認定を受けて発行された「悲母観音掛軸」は、限定480部(番号入り)のみで、価格は税込み126,000円(10月末日まで特価120,000円)。
  その画像をここに掲載することはできないが、従来市販されている複製品は無認可復刻のため細部がハッキリせず、また派手な色彩になり、原画とかけ離れたものとなっているらしい。
  たとえば、①まばゆい輝きを放つ宝冠の細工がつぶれていたり、②色彩あふれる描線をもつ立体的な雲が、濁った地色で派手に描かれていたり、③鳳凰など細やかな文様が際立ち色調豊かで軽やかな衣が、暗く純重な天衣になっていたり、④広がりと奥行きを感じさせる濃淡のある背景が、広がりのない単色の空になっていたり、⑤ふんわり浮かぶ水泡と生き生きした童子の画が、平坦な水泡とぼやけた童子の画になっていたりで、その違いは一目瞭然だという。
  古田亮準教授(東京藝術大学美術館)の作品案内を次に転記する。
  「この作品のように柳の枝を手にする観音は楊柳観音といい、病難救済を本願とする…。楊柳観音と善財童子という組み合わせの図像も多くの作例が残される。しかし、この悲母観音に見られる水瓶から落とされた浄水によって赤ん坊が命を与えられ地上界に降りていくかのような図像は、芳崖の独創といってよい。悲母とは慈母と同じ意味で、子供に対する母親の愛がこの作品の真のテーマとなっている。」
  なお、悲母観音(慈母観音)は、中国で誕生した観音なので三十三(化身)観音のなかには数えられないが、日本では広く流布し信仰されている。
  小学館から送られてきたパンフレットの複写図像に何度も合掌しながら観音信仰者の1人として本文(紹介)を記しました。合掌。
 ※画像はhttp://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/philately/geidai.htmlからお借りしました。

2008年10月13日月曜日

篤姫で観行院(若村麻由美役)逝く(扇の場面痛快だった)

  昨日のNHKドラマ篤姫(41回)を観ていたら若村麻由美が演じる観行院がもう亡くなってしまった。このときの顔を見ていて、また若い頃の故養母を思い出してしまった。
  篤姫で若村麻由美の出番は少なかったような気がするが、皇女和宮(堀北真希)の徳川家茂(松田翔太)に対する気持ちの揺れを見抜き、その母として気づかい、それとなしにアドバイスする演技は光っていた。
  篤姫で一番印象に残っているのは34回、皇女和宮一行が江戸清水家上屋敷に着き、大奥の女中らが挨拶に行ったとき、和宮と観行院がお前たちに見せる顔はないといわんばかりに扇(檜扇か)で顔を隠した場面。ビックリする女中らの表情が可笑しかったが、扇の後ろでアップになった観行院(若村麻由美)の顔の美しさも際立った。宮中では、高貴な人が身分違いの人と会うときは、御簾(すみ)か几帳(きちょう)越しに行い、安易に素顔を見せないというしきたりがあったようで、ここでは、この扇を御簾の代わりにしたのだろう。
  この若村麻由美、その頃放送されていた「刺客請負人2」で闇猫のお吉を演じていたが、その根城の浮御堂でも扇を持っていた。扇を仰ぎながら話をするお吉は、盗賊のようなもので、顔を隠すようなことはない。扇の種類も違い、身分相応の違いはあったと思うが、扇は、身分を問わず必須の持ち物だったのだろう。
  最後は、観行院は死んだが、闇猫のお吉は闇を捨て町娘風のいでたちで一人旅立った。若村麻由美は、最近「セレブと貧乏太郎」で金髪の美田園真紀子役を演じているが、どんな役をしても美しく目立つ。
 ※画像は、NHK大河ドラマ「篤姫」で観行院役の若村麻由美。

2008年10月7日火曜日

ハイエナを見るようだった形見分け

  ハイエナは、死肉をあさる動物として「サバンナの掃除人」と言われているらしいが、故実母の形見分けの様子はこのハイエナに例えられるような状況だった。そのお陰で故実母の家の荷物は、片付いてすっきりしたものの、なぜか虚しい気持ちが残った。
  思い返すと、6月初め呼吸困難で実母の命が危険な状態に陥ったとき、それまで何かと1人暮らしだった実母の面倒を見てくれていたAが、実母宅の金庫の鍵を勝手に持ち出して金庫のなかにあった現金と預金通帳を持ち出した。
  これは、実母生存中のことで形見分けではないが、Aにしてみれば、このまま実母が死んでしまえば「死人に口なし」と勝手に判断したのだろうか。当時、Aに通帳のことを問いただしたら「いっさい知らない」と言っていた。しかし、実母が死の淵から生還したことにより、このことが露見し、後にAからその一部を取り返したものの、その額は、実母が言っていた額より遥かに少なくなっていた。当時訴えていたら犯罪である。もちろん、実母の葬式には呼ばなかった。まずここで身内の浅ましさを目にしてしまった。
  次に、実母の葬式後、Bに実母宅の玄関キーを預けていたところ、早々に、実母が大事にしていた高額の健康食品類と同食品の仕入れ伝票、未記入領収書、得意先を記した電話早見表などを持ち出していた。
  これは、形見分けを開始する以前のことで、相続人である私に報告がなく、後日、追求したところ、「健康食品は某町の人にあげたら喜ばれた」「伝票類は焼いた」「早見表は連絡するところがあったので」と、訳のわからないことを並びたてた。それどころか、その後、まだ押入れに残っていた健康食品をまとめて置いていたら、私のいない間に持ち出していた。
  これらの健康食品は、生前、その販売代理店をしていた実母が某社から大量に仕入れていたもので、Bはその販売方法を熟知していた。私に断りもなしに窃盗にも匹敵するような行為をされたことに対して憤りが残った。それでも、Bに形見分けはしたが、今後、親戚付き合いはできないと思った。
  そのBが、電話で「納骨の連絡をなぜしなかったのか」と文句をいったので、「納骨にあたって母の霊魂が、あなたを呼べとは言わなかった」と答えた。多分、Bが高額の健康食品を黙って持ち出した時点で、故実母の霊魂はBとの縁と切ったのだろう。
  さて、形見分けだが、集まった実母の身内に、「それぞれに好きなものがありましたら形見分けとして選んで持って行ってください」と伝えたところ、皆がわれ先に遺品に群がった。形見を選ぶのではなく、押入れ、箪笥、引き出し、下駄箱の中など、あるものすべてを、手当たり次第、袋につめて、車に積めるだけ積んで、数回に分けて運び出したのである。風呂場や便所にあったものまで持ち出した。さらにトラックでピアノ、テレビ、ソファ、絨毯、エアコン、冷蔵庫なども運んだ。
  その様子は、死肉をあさるハイエナを見るようで、私の頭のなかにあった形見分けのイメージとは、かけ離れていた。皆が置いていった不燃・可燃ゴミ類一切を私が運び出した後、残っていたのは、使いようのない物ばかりだった。お陰で家の内外が瞬く間に片付いてホッとした反面、がらんどうになったなった家を見ていて何とも言い知れない虚しさがこみ上げた。
  実母の死を偲んで、実母が愛用していた品の一部を、遺族が形見に貰い受けるというのが本来の形見分けなのだろうという思いがあっただけに、まさかここまで跡形もなく持ち出すとはイメージしておらず、ハイエナにように跡形のないようにあさって行った人たちに対する興ざめなのだろう。
  でも、これで、重い荷物をたくさん抱えていた実母は、現世に未練がなくなり身も心も軽くなって霊界に旅立つことができただろう。
 ※画像はハイエナ。 ハイエナ - Wikipediaからお借りしました。

2008年10月3日金曜日

博多座「ミス・サイゴン」の予約開始目前!

  最近の「ザ博多座」(KBC)にミュージカル「ミス・サイゴン」の予告が登場しだした。
  毎回、予告の内容も趣向を変えているが、今日のゲストは、キム役を演じる「ソニン」だった。「戦争の中で生まれた人と人との愛、究極の愛がテーマ」とコメントし、「命をあげよう」の一節「星が燃えて私も燃えた あげよう私に無いもの 大人になってつかむ世界を 神の心のまま望むもの選ぶの」を歌った。
  この歌は、「新妻聖子MUSICAL MOMENTS」にも収録されており、カーナビのHDDに録音して車を運転中に聴いているので、悲壮感のある歌ではあるが、私にとっては馴染み深く感じて、聴いていてやはり心がときめく。
  「ミス・サイゴン」は、博多座開場10周年記念第1弾として2009年1月5日(~3月15日)に開演するが、いよいよ10月25日から1月公演分のチケット予約が始まるそうだ。価格はA席16,000円、特B席12,500円、B席9,500円、C席5,000円。まだ開演まで間があると思っていたが、もう予約が始まるのだ。
  今春~夏、実母の入院先に通っていたときは、病状を気遣う毎日で、とても観に行くことはできないと思っていた。実母が死んだ後は、故人の確定申告、相続手続き、財産処分に煩わされているが、この1月公演の予約が始まるとのニュースを聴いて、もうそんな時期に来ているのだと思った。改めてプログラムを見なければと思っている。
  実母とミュージカルの話をしたことはなかったが、とにかくギターを抱えて歌うアメリカンポップスなどの音楽の好きだった実母の姿を思い浮かべ、その供養の気持ちをこめて、「ミス・サイゴン」を観に行きたいと思っている。
※画像は、ソニン。ミスサイゴン/博多座http://www.tohostage.com/miss_saigon/top.htmlからお借りしました。