2008年4月28日月曜日

人としての情愛と平常心(本尊供養大祭)

  好天下、野外奉仕活動の後、本尊檀で、九条錫杖、観音偈、心経を、回向檀で阿弥陀経、光明真言、念仏等を勤行。その後行った直会での話。
  最近、心の病に侵される人が多いが、そのなかには、魑魅魍魎等の霊が憑依した人の抑圧的な言動に翻弄され、心をかき乱されて病んだ人もいます。まじめな人ほど、その影響を受けやすく心気が変になっていくようです。
  お祓いとかいう言葉に敏感に反応し、激しく拒否反応を示す人は、お祓いをされると、憑依しいている魍魎が飛ばされてしまうので、魍魎自身がそれを恐れて、憑依している人の口を借りて激しく反抗するのだと思います。ただお祓いは安易にできるものではありません。
  人としての情愛が通じず、気分のむらが激しく、突然出口を塞いで人を攻撃したり陥れるような言動をしている人とまじめに対応していると、自分自身が心の病におかされて行きます。避けることができるなら避けて通りたいですね。
  また、それらの憑依霊の力を借りて自己主張を続けていると、気付かない間に憑依霊に自分自身の心が食いちぎられて行くことがあります。
  これらの魍魎は、先祖供養の仕方を間違うと仏壇のなかに侵入する場合もあるので厄介ですが、常に平常心を持って正しい方法で先祖供養を続けて行くと侵されることはありません。私たちは、常に意を正し先祖供養を行い、人間としての情愛のある人になるように心がけましょう。

2008年4月25日金曜日

村上元労相・試練超克(武士の精神)

  4月7日に「村上元労相の実刑判決を残念に思う」というブログを公開したところ、当の村上正邦氏がこのブログを読まれたようで、村上氏から返事(封書)が届いた。
  「ありがとうございます。最高裁の上告棄却が決定された後、親しい友人から(中略)呼び掛けが有り(中略)帰福(中略)。久し振りに英彦山神宮に参拝(中略)。福岡の友人達との集いに、T氏(注:原文実名)も出席頂いており、K先生(注:原文実名)との思い出を語り合って参りました。この裁判は上告棄却の決定が下されましたが、無罪を勝ち取る為、死ぬまで闘ってまいります。合掌」と記されていた。
  文中のK先生は、今は亡き元文部大臣で、T氏はその元第一秘書。私は、年に一度T氏主催で開かれるK先生元秘書会の宴会に出かけているが、そのつど、一度は国政を目指して戦い破れた後、政治の世界から大きく離れ、自分がどんどん小さくなってしまったような思いにとらわれる。
  私のことはともかく、封書を読んでいて、村上氏の悲壮とも言える痛恨の極みが伝わってきたので、その一部を掲載させていただいた。現在の混沌とした政治状況を打破できるようなすぐれた政治家が裁かれて、国政の場から消えて行くことは、国にとって大きな損失であると思っている。
  もう一通、すばらしい達筆の署名入りで、現在の村上氏の心境を歌に託した文が同封されていた。
  「花吹雪我が一生の試練なほ」
  「咎めなき我が背なを押し花嵐」
  「またまみゆる時を糞(ねが)ひてさくらかな」
烈々たる武士の精神をもってこの試練を超克するという村上元労相の心境が伝わってくる。  

2008年4月24日木曜日

雛形あきこ 及び 阿修羅像

  先日(4/13)、RKB月曜ゴールデンで「山村美紗十三回忌追悼特別企画・守矢警部④京都阿修羅王殺人事件」を見ました。
  このドラマに皆川悠子警部補役で出ている「雛形あきこ(30歳)」を見たかったからです。その訳は、今春、孫娘が着物の着付けをして日舞を舞ったときに見た顔立が、どこか雛形あきこに似ていたので、彼女の出ているドラマがあれば見て確かめたいと思っていたからです。
  実は、日舞の会場で、化粧している孫娘の長顔で目が大きい顔を見たとき、一瞬「誰かに似ているなあ」と思ったのですが、すぐには思いつかなかった。しばらくして、ふっと雛形あきこに似ていると気付いたのです。すぐに娘にそれを言うと、娘もうなずていました。
  このドラマで、長顔で大きな目の雛形あきこを見ていて、やはり間違いないと一人確信しました。娘も同じ番組を見ていたらしく、後で同じ印象を述べていたので、間違いないのだろう。
  今まで雛形あきこ出演のドラマを、あまり見た記憶がないものの、それでも唯一、強烈に印象に残っているものがあります。それは「ストーカー・誘う女(1997年TBS)」で演じた上原ミチル役です。主人公の陣内孝則を執拗に追い回し、彼の家庭を滅茶苦茶にする女ストーカー、女の迫り来る愛憎をみごとに演じた怖い作品でした。このとき、初めてこの女優が雛形あきこ(当時19歳)だと知ったのです。
  彼女は、水着モデルの印象が強いが、日舞やピアノもするという。今度は、ぜひ日舞を舞う着物姿の雛形あきこを見てみたいと思っています。
  このドラマには、三つの顔と6本の腕を持つ仏教の守護神「阿修羅像」が出てきます。最近、私のブログにには、どういう訳か「阿修羅像」がたびたび出ており、不思議な気がしています。
  ところで、奈良・興福寺が所蔵する門外不出の国宝「阿修羅像」は、興福寺創建1300年を記念して、来年7月から九州国立博物館に出展される。もちろん九州での公開は初めてのこと。
  この興福寺の「阿修羅像」は、天平6(734)年に光明皇后が母の冥福を祈って造らせたといわれています。かつてRの御守護神として出現されたことがありました。機会があれば、ぜひ実物を礼拝したいと思っています。  
  ※画像は、雛形あきこ「ハダカのココロ」(ブログ)の3/24雨です からお借りしました。
http://wpb-net.shueisha.co.jp/hinagatablog/

2008年4月20日日曜日

鳥越トンネル(筑紫野市)を初めて通過

  県道筑紫野太宰府線を通ったら、吉木―山家パイパス(2.6km)の「鳥越トンネル(234m)」が開通(4月29日)していた。これにより、いつも通っていた宮地岳北東部に位置する山間部の狭い峠道を越えないでよいようになった。
  この線は、1995年に着工し既に13年、細切れのように部分開通を重ねていった。考えてみると、以前は、太宰府市街を通りぬけ、九州歴史資料館のある峠道を越えたり、筑紫野市吉木の山裾集落道を通ったり、宮地岳山裾の峠や集落道など、狭くて曲がりくねった道が多く、運転にはかなりの神経を使い、走行時間もかかった。全線開通で随分と便利にはなったが、反面、車の走行も増え、パトカーのスピード検問も出没するので、より安全走行に心がけておかねばならない。
  現在、このバイパスにつながって建設中の筑紫野三輪線の筑紫野市山家―筑前町曾根田バイパス(3.5km)が開通(2009年見込み)すれば、国道386号のバイパス機能が顕著となり、車の通行が一挙に増大することになるだろう。

2008年4月14日月曜日

仏壇の吊り灯篭の変化・S家仏壇開眼

  仏壇で使用してきた豆電球対応の瓜実型吊り灯篭(画像)を取り外して、LEDライト対応の陰雲型院玄吊り灯篭(15,500円)に替えた。
  理由は、長年焚き続けた線香の煙で灯篭の金色地がくすんでしまったことにもよるが、最近、豆電球対応に替わるものとして省エネタイプのLEDライト対応のものが発売されたことよる方が大きい。
  実際、設置後、LEDライトをつけてみると、豆電球に比べてかなり超高輝度であることが分かった。また、コードの途中につなぐコネクター基板で電流アンペアを落とすので豆電球のように発熱せず、電球が切れるというようなことはないようだ。
  このライトのことを知ったのは、つい最近の4月3日。S家で新たに仏壇を購入され、その開眼供養を頼まれて出かけたときのことだった。仏壇屋さんが、仏壇に灯篭を取り付けるとき、今まで見たことのない操作をしているのを見て、「それは何か」と尋ねて知った。仏壇仏具は、昔も今も変わることのない世界と思っていたが、気がつかないうちにこの世界でも改良があっていることを知った。
  ところで、S家の仏壇は、高級紫檀で見えない部分にまで入念に手が施されており、縦横の幅も広く重量もある立派なものだった。同日の暦は仏滅だったので、通常なら開眼供養を避けるのだが、この日は大安の時間帯が早めに訪れ、同家先祖の督促もあったので、その時間帯を待って始めることができた。
  開眼時、多数の同家の先祖有縁霊が訪れていることを確認した。また、開眼供養直後、仏壇に向かって右手前横の窓から斜めに入ってきた西陽が、仏壇正面の白クロス壁に当たり、その照り返しの光が仏壇のなかを神々しく照らし阿弥陀の浄土を現出しているかのようだった。ご先祖の神仏の祝福を得た証である。同家家族一党の御繁栄を祈る。合掌

2008年4月12日土曜日

庭のタンポポ開花、心暖かい

            このブログには、たびたびタンポポが出て来ますが、私の大好きな花の一つだからです。
  昨秋アスファルト道路の縁から中央花壇に移植していた小さな西洋タンポポは、立春を過ぎた頃から葉が大きくなり、地面から葉を起こした。そして、昨朝、一輪の小さな花を咲かせた。
  この黄色の花を見ていると可憐ではあるが、冬の寒さを耐えて精一杯生き抜き、今、春を告げているんだ、と言っているかのように思える。見ているだけで、なんだか心が暖かい。皆が皆、このように見ているだけで心が暖まるタンポポのような人たちばかりであったら、この世はどんなに平和であろうか。
  話は変わるが、最近、また人を妬み、中傷し、排斥する陰湿なものを見てしまった。どうして人は憎しみあい、いがみ合うのだろう。人は神ではないので仕方のないことなのだろう。排斥されても必至で生きている人たちを、暖かい気持ちで見守りたいと思う。

2008年4月9日水曜日

「ファン・ジニ」のハ・ジウォンに期待

  テレビでは、今も韓流プログラムがひしめいている。以前はよく観ていたが、最近はあまり観ていない。しかし、4月6日からTV(NHK衛星第2)放映が始まった「ファン・ジニ」は別。全24話をすべてHDDに録画してでも観たいと思っている。
  ドラマの内容は、HPに多く紹介されているので、ここで述べる気はないが、なぜ観たいのかというと、ヒロインの妓生(キーセン・芸妓)ファン・ジニを演じるハ・ジウォンに興味があるからだ。
  彼女が演じた「チェオクの剣」(2005年)のチェオクの悲哀に満ちた目の表情や剣さばきのすばらしさにすっかりのめりこんでしまい、この連続ドラマは2度も観るような熱の入れようだった。それ以来のドラマ出演だけに期待している。
  ※ハ・ジウォン(profile):1976.6.28生まれ。壇国大学演劇映画学科卒。1997年デビュー、1999年「学校2」(KBS)で注目を浴びる。2000年「真実ゲーム」で映画賞を総なめ。「秘密」(2000年・MBC)、「パリでの出来事」(2004年・SBS)、「恋する神父」(2004年)などに出演。

2008年4月8日火曜日

富士山とエベレストの同時清掃

  4月2日の毎日新聞に、去る1日環境省において野口健さん(アルピニスト)と若村麻由美さん(女優)が会見し、4月19日に行うエベレストと富士山での同時清掃について語ったとの記事が載っていた。
  この活動は、今年で3回目になるそうだが、エベレスト(ネパール側ベースキャンプ付近)で野口健さんが清掃を行うのに合わせて、富士山で若村麻由美さん(リーダー)が一般参加(申込先:富士急トラベル℡03-3376-6411)の人たちとゴミ拾いを行う。参加者は、大きな徳を積むことになるだろう。
  エベレストは、現在、地球温暖化の影響で氷河が減少し、崩壊の恐れのある氷河や、氷河崩壊により解けた水による洪水や砂漠化の恐れもあるという。私たちの知らないところで地球崩壊が確実に進んでいるのだと思う。それに対して私たちは何ができるのであろうか。

前登志夫氏と「蔵王讃歌」

  4月7日の朝日新聞に「土俗的歌人、都市生活批判 前登志夫さん死去」の記事が掲載されていた。
  亡くなられたのは4月5日で82歳、「奈良・吉野山中の集落に生まれ育ち、父祖伝来の林業に就く傍ら、山の自然と交歓するかのような短歌を詠み続けた。」と記されていた。
  私が、前登志夫氏のことを知ったのは、昭和60(1985)年10月14日に吉野山(奈良県)の金峯山寺蔵王堂昭和大修理落成慶讃大法要初日に行ったときのことだった。
  その日、約150人の混声大合唱で「蔵王讃歌」が奉唱されるなかで秘仏本尊蔵王権現の御開帳があった。彩色鮮やかな蔵王権現の厳しくも慈悲あふれる顔と凛々しい立ち姿、その御開帳に相応しいオープニンセレモニーだった。
  このとき演奏された「蔵王讃歌」を作詩されたのが地元の詩人、前登志夫氏で、作曲は服部克久氏、ともに会場におられた。それから既に22年の歳月を経ているが、そのときの様子と感激は今も脳裏に残っている。
  私は、その1年後、昭和61年10月12日に蔵王権現御前で入壇灌頂を終え、平成2年10月10日に開壇灌頂を終えたが、厳しい伝法灌頂の間、閉じられた灌室で蔵王権現を見上げるたびに、御開帳のとき以来カセットテープで聞いていた「蔵王讃歌」が私の心を励ましてくれていた。そのときの蔵王権現のお姿は御開帳のときよりいっそう大きく感じた。
  なお、この「蔵王讃歌」は、歌詩のなかに「般若心経」の合唱が入るなど、修験道の本尊蔵王権現を讃える宗教音楽で、HPに載っている尾崎左永子(磋瑛子)作詞・佐藤眞作曲の混声合唱組曲「蔵王」のなかにある「蔵王讃歌」(昭和36年発表、平成3年改訂)とは別のものである。
  前登志夫氏死去の記事を目にして、遥か彼方に遠退きつつある当時の大峯・吉野山中での修行の日々を思い出した。
  吉野山を讃え続け、吉野山の桜の花咲く季節に桜の花に包まれるように亡くなられた土俗の前衛的歌人、故前登志夫氏の御冥福を心よりお祈りいたします。
  ※画像はhttp://www.web-nihongo.com/back_no/column_02b/030701/index1.htmlからコピーさせていただきしました。

2008年4月7日月曜日

村上元労相の実刑確定を残念に思う

  最近(3月29日毎日新聞)、「KSD汚職、最高裁が上告棄却、村上正邦元労相の実刑確定」の記事を見た。
  一日も早く村上氏(左画像)の疑惑が晴れて政界への復帰を期待していた私としては非常に残念に思った。
  私は、村上氏に対して、今でも大事にしている若いときの思い出がある。18歳から26歳まで、生長の家に入信していたことがあるが、当時、村上氏は生長の家を選挙支持母体とした参院議員玉置和郎氏の秘書をされていた。
  私は、村上氏とは生まれ郷里が同じという縁もあり、元文部大臣秘書の職を辞し帰郷するとき、議員会館玉置事務所の村上氏に退職の挨拶に行った。急な訪問であったが、村上氏は「何か餞別をあげよう」と言われ、「まだ使っていないので、これをあげよう」と言って、瑪瑙(メノウ)のネクタイピンをくれた。
  このときの村上氏の気持ちが嬉しくて、今でも大事に保存している。若いとき向こう見ずで多くの敵を作っていた私は、ちょっとした心遣いの大切さを村上氏から学んだ。結婚後、妻が「使わないのなら、指輪にするので」譲ってくれと言ったときも、思い出の品だからと言って渡さなかった。
  村上氏は、その後1980年、生長の家政治連盟や神道政治連盟を選挙支持母体にして参院議員に初当選。1983年生長の家が政治活動を停止した後は、豊明会中小企業政治連盟(KSD中小企業経営者福祉事業団)を支持母体とした。1992年宮沢改造内閣で労働大臣に入閣。しかし、2001年支持母体のKSD不正経理疑惑で議員辞職、受託収賄で逮捕された。
  村上氏が、私のことを覚えておられるとは思わないが、私は、氏の政治活動について陰ながら応援させてもらっていた。それだけに、とても悪意のある人とは思えずKSD事件に対しても無罪を信じている。

2008年4月1日火曜日

開通したばかりの県道福岡直方バイパスを初走行、快適

  久山から直方方面に車を走らせた。途中、JAスタンドでガソリンを入れたら、単価が122円。昨日のガソリン暫定税率失効に対応しての大幅値下げだろう。これまで単価が150円前後はしていただけに嬉しかった。1~2か月後には暫定税率が復活するというが、この問題や道路特定財源、年金記録不明問題等は、官僚主導政治の弊害を表れだろう。
  宮若市福丸の赤塚商店で製造直販の「若宮みそ」を購入した。車の中が、発酵した味噌の香ばしい香りでつつまれた。この少し先に高速若宮ICから来た道が県道と合流する地点があるが、その先の芹田橋付近から龍徳まで県道福岡直方バイパスが全線開通していた。このバイパスは、これまでこま切れ状態で3区画の通行はできたが、5日前3月27日に全線が一本の道でつながった。急な峠越を繰り返すアップダウン道ではあるが、ほぼ直線で快適に走行できた。これまで混みあっていた宮若市役所周辺の道路を通らなくてよくなったので、走行時間が大幅に短縮できた。
  県(直方土木事務所)は1978年に用地買収を開始したが、用地買収が難航し、わずか5.22キロの道路を通すのに30年もかかり、古い記録が残っておらず総工費がいくらかかったかは不明という。
  バイパス途中に「六ヶ嶽登山口」の標識があった。多分、六ヶ嶽の最高峰朝日岳の龍徳側登山口のことではないかと思うが、六ヶ嶽のなかでは崎戸山が宗像三女神降臨の霊山として知られる。昨年から崎戸山頂上の「六ヶ嶽神社奥宮」再登拝を促されていながら、多忙や体調不良を理由にまだ実現していない。このバイパス開通を機に再登拝を実現したいものだ。
  ※画像は、芹田交差点バイパス入口(直進すると直方方面)<宮若市>。