2008年8月22日金曜日

笛木優子似の女優・相田翔子入籍のニュース

  女優・相田翔子(38)入籍のニュースを見た。相田翔子は、1988年に鈴木早智子と組んで女性デュオWinkとしてデビュー、翌年「淋しい熱帯魚」で日本レコード大賞を受賞したことが有名。
  相手の麻酔医・相澤宏光氏(37)は、相澤英之氏(元衆院議員・経企庁長官)と女優・司葉子の三男。司葉子は、かつて東宝の看板女優だったが、私も若い頃、こんなに美しい女優がいるのかと思ったことがある。その三男は、母と同じく美人女優を妻にしたことになる。
  昨年9月頃、二人の仲で噂があったが、7月31日に正式入籍、おめでとう!
  私が、相田翔子に興味を抱いたのは、どこか笛木優子(ユミン)に似ていると思ってからのこと。顔立ち、両笑窪、眼元、口元、スタイルなど、見れば見るほど見間違えるほど似ているように思えてならない。
  この相田翔子入籍のニュースを見ていて、ふと、6/23のブログに載せた「笛木優子似の女子社員 」のことを思い出していた。すると、以心伝心、当の彼女から電子メールが届いた。日本を離れ1か月たち、夫の仕事を手伝いながら少しずつスリランカの空気にも馴染み、快適に過ごしているという。
  それぞれに皆が幸せであることを祈る。
※画像は、相田翔子[07年11月撮影](オリコン)。http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/marriage_and_divorce/?1219303930(スポーツ報知)。

2008年8月18日月曜日

観行院(若村麻由美)と「幻の一枚?」(篤姫の雛段飾り)

  若村麻由美ブログに「幻の一枚…」と題した画像(左面掲載2008/08/17)が載っていた。この雛段飾りの前に座っている観行院(若村麻由美)というショットは、大河ドラマ「篤姫」にはないので「幻の一枚」ということらしい。
  この雛段飾りは、篤姫の「桜田門外の変」のなかで、篤姫(宮崎あおい)が大奥にて雛祭りをしたときに飾られていたものだと思う。井伊直弼大老(中村梅雀)が桜田門外で襲撃された同時刻に、幸せそうに大奥でひな祭りをしている篤姫、この不幸と幸福を同時に進行させた映像には言い知れない余韻が今も残っている(8/12参照)。
  この雛祭りの撮影があっているときに、既に観行院の出番の撮影が始まっていたということなのだろう。それにしても、この雛段飾りは、本物の葵の御紋が入っているものらしく、それを借り受けての撮影だったようで驚きだ。
  それから、「幻の一枚…」のなかに、「雛段から降りてきたような観行院さま」と書かれていたが、まさに、それには同感です!。17日から、「篤姫」に観行院が出演しだしたが、若村麻由美の着物の着付け、袖の振り方など、そのしぐさ一つを見ていても、雛人形のような美しさがにじみ出ていると思う。
  ※画像は、「幻の一枚…」。http://syunca.at.webry.info/

2008年8月17日日曜日

盂蘭盆(祖霊迎え提灯と雷雨中の送り)

  盂蘭盆3日間は、13日の祖霊迎え、14日供養会と墓参、15日の祖霊送りと、あわただしく過ぎた。以下、例年と違っていたことを書きとめておくことにした。
  まず13日朝、E氏から「玄関に吊るす盆提灯とは?」と、問い合わせ電話があった。私の家では、迎えの盆提灯(門灯)の灯りを目印にして確実に当家の祖霊が戻ってこられるという言い伝えに従い、外玄関に祖霊迎えの盆提灯(薄墨家紋及び家名入り・絹丸)を吊るして、夕方に灯りを灯すが、E氏宅はマンションの一室なので、共有通路上にある各室入口ドアの外には盆提灯を吊るすことはできない。
  提灯に限らず、盂蘭盆に家の前を明るくして祖霊を迎えるという風習は、仏教が日本に入る前にその原型となった風習からあったようで、その方法は、各地方や各家によって違いがあり、また現在、その方法も微妙に変化してきている。たとえば、各家の前で迎え火を焚くという風習については、都市化とともに危険が伴うこともあり少なくなってきている。もちろんマンションではできない。
  E氏には、「提灯がなくても、夕方、仏壇に灯明と線香を立て、祖霊迎えの勤行を行えばよい」と返事したが、考えてみると、以前、当家では就寝前まで灯明の灯りを絶やさないようにしていたものだ。
  14日午前中に盂蘭盆供養会を行い、墓参に行った。例年だと、霊園前道路(復路)で参拝者の車の渋滞に巻き込まれるのだが、今年は、それがまったくなかった。ガソリン価格高騰で車の運行を控えている人が多く、帰省ラッシュでの車の混雑が少ないと報道されていたが、車での墓参を控えている人も多いのだろう。
  15日夕方、祖霊送りの勤行をした後、激しい雷雨となった。指定された近くの川べりまでお供えものを運んだが、このような雷をともなった激しい雨の降り注ぐなかで祖霊送りに行ったのは初めてであった。よく降った雷雨も、夜になって治まり、祖霊は、無事、浄土に帰還されたものと思い安堵した。
  ※画像は盆提灯・門灯(一例) http://www.chochin.jp/products/7-12.htm

2008年8月16日土曜日

「逃亡者おりん」の青山倫子を思い出す

  13日夜、盂蘭盆迎えを終え、北京五輪TV観戦も疲れたので、ドラマでも観ようと思い、「ゴンゾウ(内野聖陽主演)」を録画予約し、「北の大地!旭山動物園命の事件簿②(西郷輝彦主演)」を観た。動物園の白熊の興味深い動きなどの方に気をとられながら漠然と観ていたら、妻が突然、「この女優、おりんだよ」と言い出した。
  「おりん?」、「ほら、以前、あんたが毎週見ていた時代劇があったじゃない、宅麻伸とかと一緒に出ていた」。最初はピンと来なかったが、改めて刑事の里美役をしている女優の顔を見なおして、やっと思い出した。
  2006.10~2007.3に全21回連続放映された金曜時代劇「逃亡者(のがれもの)おりん」で、植村道悦(榎木孝明)率いる「手鎖人(てぐさりにん)」という暗殺組織から抜け出し逃亡者となったおりんを演じた女優青山倫子(のりこ)だった。
  縞の合羽に三度笠という渡世人スタイルで旅をするおりん、そして、それらを脱ぎ捨てレオタードスタイルに変身し、次々と追ってくる刺客と渡り合う。この姿が格好良く、また、撃退したときに口にする「闇の鎖、またひとつ切りました」のセリフの響きもよい。当時、この番組を観た中高年の男性たちがはまり、高視聴率をマーク、時代劇復活が叫ばれたほどだった。また、「まだ見ぬ娘を求め、修羅の道をひた走る女・おりん。迫り来る刺客に、必殺の武器・手鎖(てぐさり)が飛ぶ」などのナレーション(津嘉山正種)も良かった。
  私も、このとき初めてこの女優青山倫子を見て、はまったひとりだった。モデル出身でスタイルが良く、モデル当時は井上訓子(本名)で活動していたというが、まったく知らなかった。
  しかし、その後、青山倫子出演作品を見たことがなく、今回の刑事里美役は、主役ではなく、おりんのイメージとはかけ離れており、妻に言われるまで気がつかなかった。おりんに、はまっていた筈なのに、すっかり忘れていた。青山倫子は、時代劇のほうが似合いそうだ。でも、今後は、忘れずに応援しようと思う。
  ※画像は、青山倫子、ドラマ「逃亡者おりん第4話」でのシーン(C)2007 テレビ東京・C...。http://contents.oricon.co.jp/news/movie/44223

2008年8月13日水曜日

吉田由美子さん慰霊報道で23年前を思い出す

  昨日のTVで、長女吉田由美子さん(当時24歳・女優)を亡くした横浜市栄区の吉田俊三さん(76)、公子さん(74)夫妻が訪れた御巣鷹尾根慰霊登山の報道を目にした。
  この日は、後に御巣鷹尾根と命名された高天原山の尾根(群馬県多野郡上野村)に、日本航空(当時)123便(東京羽田発、大阪伊丹行)ジャンボ(ボーイング)機が墜落した昭和60(1985)年8月12日(18時56分)から数えて23年目(24回忌)の夏にあたる。
  私は、この慰霊報道を目にして、事故があった当時、東京女子医大外科病棟に入院していたことを思い出した。ベッドで横になってTVを見ていたとき、19時前後頃だったと思うが、まずニュース速報のテロップが流れ、事故を知った。以後、刻々と、この報道一色になっていったTVを食い入るように見ていた。
  私は、外科手術を受けて、体は衰弱していたものの命にかかわることではなかった。しかし、このジャンボ機に搭乗した人たちは、約1時間もの間、上空で迷走するジャンボ機のなかで突然襲いかかってきた生か死のはざ間で相克しておられたのだ。既に死を想定して手帳などに遺書を書いていた人もいたという。
  挙句、必至で操縦かんを握りしめ乗客全員の生存の道を探っていた機長ら乗員を含め搭乗者全員が、この尾根に激突したジャンボ機とともに生死をともにした。524人の搭乗者のうち奇跡的に4人の生存が伝えられたときは、その天運に思いを馳せたりもしたが、最終的に520人もの人たちが一挙に生存の道を絶たれたことを知り胸がつまった。さらに、遺体の多くが誰なのかの判別もつかないように状態になっていると聞くにつけ、なんともいたたまれない気持ちに包まれ、TVの前で合掌した。あとで、この死亡者のなかに、歌手の坂本九さんや、ファンだった元タカラジェンヌ雪組・北原遥子(本名・吉田由美子)さんらがいたことを知った。
  あれからもう23年もたつのかと思うと、今、生きていることを感謝しなければと思う。
  なお、あの事故の翌年(22年前)8月養母が死亡し、私も身近な者の死と直面した。今年その23回忌法要を行う。
  ※画像は、吉田由美子さんの生涯を綴った図書(扶桑社刊)。http://www.fusosha.co.jp/senden/2006/05207X.php  

2008年8月12日火曜日

「篤姫」・すばらしかった「桜田門外の変」の映像

  今週(8月10日)放映されたNHK大河「篤姫」は、万延元年(1860)3月3日(陽暦3月24日)に春雪が降るなかで起きた「桜田門外の変」だった。井伊直弼大老(中村梅雀)は、上巳の節句に江戸在府大名・江戸城総登城のしきたりに従い、五つ半(朝9時頃)井伊家上屋敷を出発し、その直後、桜田門外で水戸藩等の脱藩浪士に襲われ落命した。
  井伊大老の乗った駕籠を中心に置き、その周りで斬あう侍たちの迅速な動きを、上空から撮影した映像、そして、身動きの出来ない駕籠のなかで聞く喚声と銃声、そして迫り来る危機を察知する井伊大老の心情を表情だけで演じた中村梅雀の演技力とその映像もすばらしかった。また、その間、間に映し出される大奥で篤姫(宮崎あおい)が笑顔で雛祭をしているカットなど、この動と静、不幸と幸の配置など、よく考え出された演出であったと思う。
  その首級をあげたのは、ただ1人薩摩藩から加わった脱藩浪士有村次左衛門(遠藤雄弥)であったという。ドラマでは、薩摩藩内で井伊大老を襲撃するために決起した若侍たちを鎮めた大久保正助(原田泰造)が、今後、薩摩で頭角を現していくことを暗示するような場面が強調されていたが、何故かそのなかにいた筈の有村次左衛門の脱藩(と出?)経緯がまったく見えてこなかったのが不思議に思えた。
  私は、子供の頃、井伊大老が可愛い孫娘(娘?)と雛人形を愛でた直後、雪の降りしきるなかを駕籠で出発し落命する場面を描いた歴史漫画(題名・作者など記憶にない)を読み、かなりショックを受けた思い出が残っている。当時、なぜ、こんなに優しい人が襲撃されなければならないのかと思ったからだった。そのため、この桜田門外の変が起きた日が3月3日(雛祭)であることだけは忘れたことがない。そして、もし雪が降っていなかったら、供侍たちはもっと軽装で敏捷に動けたはずで、こんなに短時間で簡単に主君を討ち取られることはなかったのではと、ずっと思っていた。
  この思い出があったせいか、東京に居た頃、何度も外桜田門付近(千代田区永田町)や襲撃隊が集結した愛宕山(港区愛宕神社)などを史跡探訪した記憶がある。ついでに外桜田門にあった井伊家上屋敷跡近くに建つ警視庁で職務質問を受けた余禄まであった。
  ところで、来週の予告編に、待ちに待った皇女和宮(堀北真希)の母・観行院を演じる若村麻由美の姿が見えた。主役篤姫(宮崎あおい)とどのように対決していくのか、同じ対決でも今度は大奥のことで、「闇猫のお吉」とはまったく違った皇族としての気品ある対決が見られることであろうと思うと楽しみである。
 ※画像は、井伊直弼役の中村梅雀(NHK)。

2008年8月7日木曜日

やはり若村麻由美の「闇猫のお吉」は適役

  金曜時代劇「刺客請負人(第2話)」で、松葉刑部(村上弘明)と直接対決した闇猫のお吉(若村麻由美)の敏速な太刀さばきが久しぶりに見られ、その美しさに心がときめいた。ドラマの終盤、お吉は、闇法師一味の重鎮藤次郎(綿引勝彦)に対し、一味が育てた美男の雀(河野朝哉)を配下に貰い受けて「闇猫一家を組みなおし闇法師に加わる」と宣言した。さらに闇法師7人衆の1人道八(本田傳太郎)が監視役とし闇猫組に加わり、お吉と松葉刑部との再対決の道筋ができた。
  第3話では、再出発なった闇猫組の部屋が画面に現れ、後方の壁面には、閻魔大王の像とよく分からない数体の仏像が置かれている。その前で、ピンク系の艶やかな着物を羽織、やや横座り気味に椅子に腰掛け、右手で扇子を扇ぎながら、ばさばさとした粋な言い回しで話をする美しいお吉のポーズが復活し、ドラマはいよいよ佳境に入った。
  毎回、姿を現すたびに変わるお吉の髪型からかんざし、爪、着物、帯、被り物、扇子や杖や太刀などの持ち物、履物に至るまで、闇の刺客人の着こなしとは思えないような上品さがあり、妖美な艶やかさを醸し出しているとでもいうのだろうか。再びお吉が、妖美で軽やかな身のこなしで太刀を振り、刑部と真剣勝負を挑むことになるのだろうかと思うと心ときめく。今後のドラマの展開が楽しみだ。
  若村麻由美を見ていると、やはり40歳代頃の故養母を見ているように思え、ドキッとすることがある。
※画像は、闇猫のお吉。若村麻由美ブログ2008.5.31からお借りしました。http://syunca.at.webry.info/200805/article_4.html