平成19年9月16日のこと
先ほどこの山際の道を3度通ったが、かつて訪れたことのある旧宮跡を見つけることが出来なかった。しかし、旧宮跡は、この道沿いにどこかにあると確信し、今度はかなり慎重になった。旧宮跡を探す目印としていたのは、大きな「柘植の木」だった。しかし、その「柘植の木」を見つけることが出来なかった。
初めて旧宮に行き着いた日から既に10年以上の歳月が経っている。その日、私はこの下方にある農道から、傾斜地の上にある山林を見上げていた。そして、霊的な光を発している山林のある一点に目が留まり、そこに何があるのかと確めようと思った。その前面の傾斜地には、畑のほか雑種地や藪が立ちはだかっていたが、はやる気持ちを抑えることが出来ず直登した。雑草を掻き分け、泥や埃をかぶりながら、最後の段差を登りつめたとき初めて、山際を登る道があることに気づいた。
目指した土地は、この道路から一段高い位置にあり、三方を樹木に囲まれた平らで明るい叢であった。神社の「社」というようなものはなかったが、この叢の奥に傘を広げたような美しい形をした1本の大きな「柘植の木」が立っているのに目が留まった。この木が御神体か、神の依代で、霊的な光はここから出ていたのだと確信した。そして、感動のあまり合掌した。この地が旧宮跡であった。現在は、私が駆け登った傾斜地には住宅が建ち並び、視界はきかなくなっている。
台風11号の影響下にある雨が降り出した。もし今日行き着かなかったら日を改めて出直そうと思った。そう思った途端、林の中に小さな木造の「社」らしきものが目に入った。しかし、旧宮地は、こんな場所ではないと思った。傘を差したまま、半信半疑で、その林を覗きこんだ。どう見てもこの建物は「社」なので、辺りを見回したら、その左手前に「旧宮跡」と記された石碑が立っているが分かった。ここが旧宮跡に間違いなさそうだ。お神酒とお念珠を手にして、雨に濡れた叢を踏んで林の中に入った。
この叢を抜けると、その先は傾斜した土の地面で、その中に「社」が建っている。四方が杉林に囲まれているためか暗い。「柘植の木」が見当たらない。探しているうちに、やっと社の左にある樹木がそれであると気づいた。幹が以前より高く伸び、枝が開きすぎて、傘の形とはいえなくなっていたので、すぐにそれとは気づかなかった。さらに、こんなに位置に立っていただろうかと首をかしげた。また道路から見えなかったのは、道際にある杉が、「柘植の木」の前に覆いかぶさるように立っているため、その陰に隠れてしまっていたからであった。
「社」は、道路側を向いて、人が立って拝める高さに建てられているが、この「社」を見ていて一気に疑問が噴出した。この地に「社」を建てる必要があったのか、また、とどうしてこの位置に「社」を建てたのか。この下に、銅剣が埋まっていたのであろうか。「社」のなかに手で持てるくらい石が数個置かれているが、この石は何なのか。この「社」があるために神聖さが失われているような感じを抱いた。お神酒を社の周りにまいているとき、「社」の後方に、丸みのある自然石を並べた墓場があるのに気づいた。以前の私の記憶にはない。あまりの変わりように驚かされるだばかりであった。
しかし、お神酒をまき終え、この場を後にしだしたとき、一瞬いずこからともしれず神の霊気を感じたが、そのまま立去ったため、後で何か割り切れないような気持ちが残った。照見行脚、正見行脚の機会が再度訪れることを祈る。
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