2007年9月2日日曜日

金峯山寺で32年ぶりの八千枚護摩修法

平成19年8月30日のこと
  金峯山寺から届いた「八千枚護摩供修行・祈願者勧募」の案内を読んでいて少なからず驚愕しました。大峯千日回峰行を達成した大行満大阿闍梨・柳澤眞悟金峯山寺副住職(成就院住職)が、「八千枚護摩」を発願され、既に8月27日から前行に入られているいうことです。
  この「八千枚護摩」を修法するには、まず自らの心身を精進潔斎するために100日間に亘る「前行」を修しなければなりません。この前行では、塩と五穀(米・麦・大豆・小豆・芥子又は胡麻)を断ち、その間毎日、三座、つまり夕(初夜<そや>)、早朝(後夜<ごや>)、昼(日中)に「不動明王立印供(りゅういんく)」を修法する三百座修法を行います。まさに死を向かい合わせの命がけの「捨身の行」が、この前行の段階から始まります。この苦行は、護摩木に願いごとを書いて祈願する人たち(衆生)に代わって修法者が苦しみを受けるという意味もあり、「代受苦(だいじゅく)行」とも謂れます。
  前行が終わった後、引き続き12月4日午後1時から5日午前10時間での一昼夜、断食、断水をした状態のなかで、世界平和と護摩木祈願者の願いごと成就を祈念して、八千枚を超える祈願護摩木を梵焼し続けることになります。
  この行は、昭和51年五條順教管長が達成され、私は、誰にでもできるような行ではない行を達成されたことに対し畏敬と感動を覚えたものでした。この感動は、それから31年経った現在も私の心の中では生き続け、昨日のことのように覚えています。なぜなら、この感動こそが、私が修験の行者としての道を選ぶべく金峯山寺で得度(昭和55年1月)をするきっかけとなったことだったからです。このときの管長の心境は、「修験道の心(朱鷺書房)昭和58年3月刊」に著されてありますが、それ以来、誰もが行じたこのなかったこの「八千枚護摩」を、今、柳澤眞悟師が発願、実修されていることを知り驚きに耐えません。
  得度の年の7月、まだ若かった私が初めて新客として大峯山蓮華奉献峰入りに参加したとき、丁度、柳澤師は千日回峯行の最中で、早朝、ほぼ同時に蔵王堂を出発したのに、一瞬のうちに師の姿が参道の闇の彼方に消え去ったのを目にしました。また私たちがやっとの思いで西の覗きを目指して登っているとき、その遥か手前で、山上蔵王堂参拝を終え下山されている師とすれ違いました。私たちの先頭にいる奉行が「行者さんが下りてこられる、道を開けろー」と叫ばれた声を耳にし、柳澤師の下山進路を阻まないようにと山縁に身を寄せた瞬間、師が疾風のように目前を駆け下りて行かれた。何という速さ、一瞬これが忍者というものかと思ったほどの速さでした。当時、私は山歩きは早いと自負していましたが、とても私の及ぶところではありませんでした。
  金峯山寺で千日回峯行を行満された行者は、この柳澤眞悟師のほかには塩沼亮潤師(仙台大伽藍)だけしかおらず、それだけでも大変な未踏の行の達成者であったのに、今また、ここにきて柳澤師はさらなる苦行に挑戦されたのです。柳澤師の成就を祈り、9月の権現供養会で陰ながら八千枚護摩成就の祈念をさせていたきます。
  この「八千枚護摩」は、古来より密教秘伝の「不動明王立印供深秘(りゅういんくじんぴ)」の秘法とされ、また、この「八千枚護摩」の「八」の文字は、その形からして「末広がり」で、開運を象徴する吉祥、吉数の意味が付加されています。なかなかこういう有り得ない縁に巡り合えるということ自体が、まさに有り難く幸せなことです。この有り難い縁を授かる護摩木の勧募に応じましょう。
 ※画像は、八千枚護摩修法中の柳澤眞吾師、http://www.kinpusen.or.jp/event/8000/8000.htm

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