2008年11月29日土曜日

若い頃の実母は新珠三千代似だった(実母のアルバム②)

  故実母の家に残っていた「小学校出てから50年・ハナハト会」と題したアルバムがある。色あせてあちこちに茶色の染みがついている。
  実母が卒業した篠栗尋常高等小学校同窓会アルバムで、このアルバムを見るまでは、実母が小学校時代篠栗に居住していたなど知る由もなかった。
  実母の口から、その頃のことなど一度も聞いたことがなかった。言いたくない理由があったのかどうか分からないが、私の方からも尋ねたことはなく、関心がなかった。というより、実母は宇美で生まれ宇美で育ったものとばかり思っていたからからだろう。
  実母が篠栗にいた当時、篠栗はまだ炭鉱の採掘が盛んであったので、篠栗炭鉱に関係していたかもしれない。その後、母が父と結婚した当時、父は貝島炭鉱資材課にいたので、炭鉱とのつながりを感じないでもない。
  アルバムの発行日は、昭和60年(1985)11月23日となっているので、そのまま50年遡れば昭和10年(1935)になる。しかし、実母たちが尋常6年生を卒業したのは昭和12年(1937)、高等科卒業は昭和14年(1939)だから少し計算は合わない。
  それはさておき、掲載されている数枚の集合写真を何度も開いては、そのなかに写っているはずの実母の顔を探してみたが、どうも分からない。小学生の頃の実母は、どんな顔をしていたのだろうか。
  私が知っている若い頃の実母の容姿は、女優の新珠三千代(故人)に似ていた。どういうわけか私は、高校の頃、この新珠三千代が好きで、この人の出演している映画をよく見に行っていた。ところが、故養母は、なぜかこの女優を好きではなかった。あれだけ宝塚歌劇の好きだった養母が、どうして宝塚出身の女優を好きでないのか理解できなかった。
  今になって思うに、ひょっとしたら、私は知らず知らずのうちに、幼児期に脳裏に焼きこまれていた実母の面影を新珠三千代に重ねて見ていたのかもしれない。私が、実母と再会するのは、それより後のことだから、高校生当時は、まだ実母の顔は知らなかった。また、養母が彼女を好きでないと言っていたのは、私の実母に似ているが故だったのかもしれないと思うのは考えすぎだろうか。養母には、何かこだわりのようなものがあったように思えてならない。
  大好きだった新珠三千代という女優に、こんな戸惑いながら過ごした青少年期の思い出が残っている。
 ※画像は新珠三千代。http://www.fjmovie.com/tposter/trump/d12.htmからお借りしました。

0 件のコメント: