2008年10月27日月曜日

九州古陶磁の精華展最終日に滑り込み見学

  昨日、「九州古陶磁の精華(田中丸コレクションのすべて)」展(最終日)を見学した。「田中丸コレクション」とは、福岡玉屋(現在廃業)の創業者田中丸善八氏(1898~1973)が生涯をかけて蒐集した約400点の九州古陶磁のことをいうが、そのうち今回181点が展示されていた。
  チラシのトップに「唐津 鍋島 柿右衛門」とあり、鍋島焼の「色絵蕎麦花畑文皿」(掲載画像参照/実際の彩色は画像の青よりはやや薄緑色)や「色絵茶摘文釜」の写真が、その表紙を飾っていたが、佐賀県・伊万里焼、長崎県・現川(うつつがわ)焼、福岡県・上野(あがの)焼や高取焼、薩摩焼(鹿児島県)のほか、現存点数が少ない須恵焼(福岡県)などの陶磁もあり、多彩であった。
  私は、展示品のなかで「菱口水指共蓋(17世紀中期、高取焼白旗山窯)」に釘付けになった。この菱口に合致させる共蓋、どうしてこういう精巧な陶器ができるのだろう。17世紀に既にこんなすごい技術があったものだ。写真を撮ることができないので、ボールペンでデッサンをしようとペンを出した途端、係の人に注意された。まったく恥かきものだった。
  高校生のとき、高取焼白旗山窯の発掘調査に参加したことを思い出した。当時、大量に発掘した陶器は、壊された失敗作の破片の数々だった。その一部は、現在も嘉穂高校郷土部に保存されているかもしれない。数えてみたら、それから既に48年経っていた。
  また、学生時代、たしか博多区川端町にあった有田焼今衛門の店舗で先代今衛門氏にこれからの商売の手ほどきを受けたこともあった。考えてみると、これまで自らが歩いてきた人生(生活)は、若い頃の夢や趣味から遠く離れてしまっている。
  故養母宅には、養母が大事に保管していた今衛門や柿右衛門作ほかの陶磁がかなりあったが、養母が亡くなったとき、内夫(私の育父)がそのすべてを道路に並べて放置した。瞬く間に通行人が持ち去ったという。彼は、叙勲記念に柿右衛門の絵壷を贈られ大事にしていたが、養母が所有していた高価な陶磁にはまったく興味を示さなかった。したがって、当家には今で言う「何でも鑑定団」に出すような陶磁はない。
  当家にあるのは、高価なものではないが、唐子が描かれている「景徳鎮の花瓶」である。いつだったか、岩田屋家具即売会に行ったとき、飾りの置物として置いてあったに花瓶に目が留まり、無理を言って売ってもらったものである。
  豪華な田中丸コレクションの数々に感嘆しながら、私と陶磁にかかわるささやかな思い出が頭をよぎった。
※画像は田中丸コレクションのすべて【うまか陶】http://www.umakato.jp/library/tenrankai/09-05.htmlらかお借りしました。

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