2008年10月7日火曜日

ハイエナを見るようだった形見分け

  ハイエナは、死肉をあさる動物として「サバンナの掃除人」と言われているらしいが、故実母の形見分けの様子はこのハイエナに例えられるような状況だった。そのお陰で故実母の家の荷物は、片付いてすっきりしたものの、なぜか虚しい気持ちが残った。
  思い返すと、6月初め呼吸困難で実母の命が危険な状態に陥ったとき、それまで何かと1人暮らしだった実母の面倒を見てくれていたAが、実母宅の金庫の鍵を勝手に持ち出して金庫のなかにあった現金と預金通帳を持ち出した。
  これは、実母生存中のことで形見分けではないが、Aにしてみれば、このまま実母が死んでしまえば「死人に口なし」と勝手に判断したのだろうか。当時、Aに通帳のことを問いただしたら「いっさい知らない」と言っていた。しかし、実母が死の淵から生還したことにより、このことが露見し、後にAからその一部を取り返したものの、その額は、実母が言っていた額より遥かに少なくなっていた。当時訴えていたら犯罪である。もちろん、実母の葬式には呼ばなかった。まずここで身内の浅ましさを目にしてしまった。
  次に、実母の葬式後、Bに実母宅の玄関キーを預けていたところ、早々に、実母が大事にしていた高額の健康食品類と同食品の仕入れ伝票、未記入領収書、得意先を記した電話早見表などを持ち出していた。
  これは、形見分けを開始する以前のことで、相続人である私に報告がなく、後日、追求したところ、「健康食品は某町の人にあげたら喜ばれた」「伝票類は焼いた」「早見表は連絡するところがあったので」と、訳のわからないことを並びたてた。それどころか、その後、まだ押入れに残っていた健康食品をまとめて置いていたら、私のいない間に持ち出していた。
  これらの健康食品は、生前、その販売代理店をしていた実母が某社から大量に仕入れていたもので、Bはその販売方法を熟知していた。私に断りもなしに窃盗にも匹敵するような行為をされたことに対して憤りが残った。それでも、Bに形見分けはしたが、今後、親戚付き合いはできないと思った。
  そのBが、電話で「納骨の連絡をなぜしなかったのか」と文句をいったので、「納骨にあたって母の霊魂が、あなたを呼べとは言わなかった」と答えた。多分、Bが高額の健康食品を黙って持ち出した時点で、故実母の霊魂はBとの縁と切ったのだろう。
  さて、形見分けだが、集まった実母の身内に、「それぞれに好きなものがありましたら形見分けとして選んで持って行ってください」と伝えたところ、皆がわれ先に遺品に群がった。形見を選ぶのではなく、押入れ、箪笥、引き出し、下駄箱の中など、あるものすべてを、手当たり次第、袋につめて、車に積めるだけ積んで、数回に分けて運び出したのである。風呂場や便所にあったものまで持ち出した。さらにトラックでピアノ、テレビ、ソファ、絨毯、エアコン、冷蔵庫なども運んだ。
  その様子は、死肉をあさるハイエナを見るようで、私の頭のなかにあった形見分けのイメージとは、かけ離れていた。皆が置いていった不燃・可燃ゴミ類一切を私が運び出した後、残っていたのは、使いようのない物ばかりだった。お陰で家の内外が瞬く間に片付いてホッとした反面、がらんどうになったなった家を見ていて何とも言い知れない虚しさがこみ上げた。
  実母の死を偲んで、実母が愛用していた品の一部を、遺族が形見に貰い受けるというのが本来の形見分けなのだろうという思いがあっただけに、まさかここまで跡形もなく持ち出すとはイメージしておらず、ハイエナにように跡形のないようにあさって行った人たちに対する興ざめなのだろう。
  でも、これで、重い荷物をたくさん抱えていた実母は、現世に未練がなくなり身も心も軽くなって霊界に旅立つことができただろう。
 ※画像はハイエナ。 ハイエナ - Wikipediaからお借りしました。

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