2008年7月8日火曜日

大峰山「西の覗」での不思議を思い出す

  HDDに録画していた火曜ゴールデン「にっほん名山紀行(6月18日放映)」を見ていたら、そのなかに奈良大峰山(世界遺産)が入っていた。
  俳優田中健が洞川温泉(天川村)から山上ヶ岳(大峯山・1719m)に登り、途中「西の覗」の行場で「いやー怖いわー」と言いながらも、その修行を成就していた。
  そして山上ヶ岳に着いたとき、「疲れましたけどね、凄く元気になりました。登るにしたがってだんだん元気になっていくことを感じられる(山の神仏の気を感じ生かされていることを感じる)」と感想を述べていた。
  その様子を見ていて、私が初めて吉野山の金峯山寺蔵王堂から山上ヶ岳に登り、新客として「西の覗」の修行に挑戦したときのことを思い出した。それは、昭和56年7月の蓮華奉献のときだった。
  その日、「西の覗」付近は霧に覆われていた。そのため、参加した人たちは、命綱のロープを肩にかけ、絶壁の上から逆さに吊るされ身を乗り出し組み手合掌をしたとき、霧でまったく視界のきかない空中に顔を突き出しているといった感じであった。
  私もそうなるはずだったのに、私の場合は、それだけでは終わらなかった。  つまり、霧の中に頭を突っ込み、絶壁の下を見下ろしたとき、不思議なことに、その霧の中に、私の肩幅ほどの丸くて長い穴が開いたのである。
  その穴は、あっという間に上から下へスルスルと開いていった。その部分だけ霧が消えたのである。ちょうど井戸の中に頭を突っ込み、井戸の底を覗き込んでいるような状態になった。
  しかも、その穴の底が見えた。底の色は緑色、絨毯を敷き詰めたような感じだったが、樹木の葉か草が見えたのだろうか。この現象が偶然にして起こったとは、とても思えなかった。
  つまり、このような自然の超常現象ともいえるものを見たとき、これが神のなせる業、若しくは仏のなせる業なのであり、このようなときに、神仏の姿を目で見ることはできないけれど、神仏の存在を確信するのである。
  宙吊りになっていた私の体が、ロープで引き上げられるとき、霧の中に開いていた一筋の穴は、一瞬のうちに消え去り、再びすべてが霧に覆われた。共にこの修行に参加した人たちに、このことを話したら、信じられない様子ではあったが、否定する人は誰もいなかった。
  これまで神仏のなせる業であろうという超常現象を何度も見てきた。神仏は必要なときに、その現象を見せ、そこに神仏が居ることを示される。
  ここ10年間、修験の修行を横に置いて、某社の発展に全身全霊をかけて尽力してきたが、今は満足感もなく、さらに加齢とともに身体の柔軟性も損なわれてきていることを痛感し進退を見極めようと思いつつある。
  もう「西の覗」のような山岳修験道の過酷な修行は出来ないかも知れないが、少しでも気力、体力のあるうちに歳相応の修行を再開しなければならないと思っている。
 ※画像は西の覗のイラスト。http://www.kajisho.jp/tozan09.html

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