2008年4月8日火曜日

前登志夫氏と「蔵王讃歌」

  4月7日の朝日新聞に「土俗的歌人、都市生活批判 前登志夫さん死去」の記事が掲載されていた。
  亡くなられたのは4月5日で82歳、「奈良・吉野山中の集落に生まれ育ち、父祖伝来の林業に就く傍ら、山の自然と交歓するかのような短歌を詠み続けた。」と記されていた。
  私が、前登志夫氏のことを知ったのは、昭和60(1985)年10月14日に吉野山(奈良県)の金峯山寺蔵王堂昭和大修理落成慶讃大法要初日に行ったときのことだった。
  その日、約150人の混声大合唱で「蔵王讃歌」が奉唱されるなかで秘仏本尊蔵王権現の御開帳があった。彩色鮮やかな蔵王権現の厳しくも慈悲あふれる顔と凛々しい立ち姿、その御開帳に相応しいオープニンセレモニーだった。
  このとき演奏された「蔵王讃歌」を作詩されたのが地元の詩人、前登志夫氏で、作曲は服部克久氏、ともに会場におられた。それから既に22年の歳月を経ているが、そのときの様子と感激は今も脳裏に残っている。
  私は、その1年後、昭和61年10月12日に蔵王権現御前で入壇灌頂を終え、平成2年10月10日に開壇灌頂を終えたが、厳しい伝法灌頂の間、閉じられた灌室で蔵王権現を見上げるたびに、御開帳のとき以来カセットテープで聞いていた「蔵王讃歌」が私の心を励ましてくれていた。そのときの蔵王権現のお姿は御開帳のときよりいっそう大きく感じた。
  なお、この「蔵王讃歌」は、歌詩のなかに「般若心経」の合唱が入るなど、修験道の本尊蔵王権現を讃える宗教音楽で、HPに載っている尾崎左永子(磋瑛子)作詞・佐藤眞作曲の混声合唱組曲「蔵王」のなかにある「蔵王讃歌」(昭和36年発表、平成3年改訂)とは別のものである。
  前登志夫氏死去の記事を目にして、遥か彼方に遠退きつつある当時の大峯・吉野山中での修行の日々を思い出した。
  吉野山を讃え続け、吉野山の桜の花咲く季節に桜の花に包まれるように亡くなられた土俗の前衛的歌人、故前登志夫氏の御冥福を心よりお祈りいたします。
  ※画像はhttp://www.web-nihongo.com/back_no/column_02b/030701/index1.htmlからコピーさせていただきしました。

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