2008年3月20日木曜日

春彼岸、抹香をくべよう

  昨夜から吹き荒れていた風雨は、明け方に雨があがり、風も徐々に治まって行った。春の彼岸のさなかの嵐だったが、暑さ寒さも彼岸までというので、これを機に暖かくなるのではないかと思っている。そして、今日は、春の彼岸の中日、供養会を行った。3年前(2005年)の供養会のときは、春の嵐ならぬ福岡西方沖地震で家が大きく揺れた。
  この時期には気象の変動が多く体調を壊す人も多いが、霊的にみると、彼岸(霊界)から此岸(現世)に帰ってきた霊があふれ、先祖供養の行き届いていない家では体調を壊す人が出ることもある。
  例年、私は、供養会の後に墓参に出かけるが、今年は、どういうわけか彼岸入り前日に墓参をしていたので出かけなかった。ご先祖が、今年の中日には強風が吹くのが分かっており、強風の吹くさなかに行くのを避けられたのかもしれない。
  春彼岸の中日は、例年3月21日になることが多いが、今年は3月20日である。例年より1日早いと思っていたが、考えてみると今年は閏年だった。春と秋の彼岸の時期は、此岸と彼岸がもっとも近づくときで、彼岸から多くのご先祖が戻ってくるので先祖供養や墓参をしようという習慣がある。
  この各中日は国民の祝日になっているが、同じように先祖供養や墓参を行う8月13~15日の盂蘭盆会は祝日にはなっていない。日本国憲法には宗教信仰の自由がうたわれており、彼岸や盂蘭盆と言うと仏教行事になってしまうので、その名では祝日とはできないのだろう。だから、彼岸の中日は、昼夜の時間が同じ長さとなる春分、秋分の日として国民の祝日としたのだろうが、そのことをなぜ国民が祝うのかというと今ひとつピンとこない。盂蘭盆は、社会の慣習として休みとしている企業等も多いが、仏教徒ではない人も休む。
  話が横道に触れたが、彼岸には香りの良い抹香をくべることを勧めている。炭がないときは、線香3本を重ねて三つ折にして、短い9本の線香にして、それを束ねて火をつけ、香炉に寝かせ、その上に抹香を被せてくべるとよい。9本の9を苦しみだと考え、その苦しみを抹香で焼き尽くし、香の香りをご先祖に、霊界に届ける供養をすると思えばよいのではないだろうか。その上で勤行、あるいは念仏、お題目などを称えてもよい。先祖供養は、自分の気持ちでするもの。合掌。

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