「・・・お世話になりました。仕事を通して多くの人とかかわりながら自己成長に役立てて参りました。・・・私の名前はツヨミですが、実はツヨシで男子だったのでしょか?ウフフフ・・・。先生もお身体大切にお過ごしくださいませ。・・・そしてこれからも職場の中心に居てくださいませ。・・・」
前から「ツヨミ」という名は女性にしては強い名だと思っていたが、「ツヨシ」が実名と知りまたまたびっくりした。「ツヨシ」は育の亡父と同名なので不思議な縁を感じ、忘れられない人となった。 なお、亡父は昨年4月他界し、11月遺族から新仏壇の開眼供養を頼まれ大阿闍梨修験僧として行った。
実際の私は、職場では何の権限も持たされておらず職場の中心にいるとは思えないが、諸先生にとっては、私をそういう存在と思うことで精神的な支えとされているのではないかと思う。それがまた私の励みとなって、何とかしてあげようと努力してきた。
私は全身全霊を現在の職場に捧げて仕事に没頭してきた。そのために、自らの照見行脚の修行が疎かになっていたような気がする。神は、これからは没頭するにしてもほど合いが必要であるとして、今、また照見行脚、若しくは正見行脚の修行再開を求めておられるのだと思う。
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