2008年8月13日水曜日

吉田由美子さん慰霊報道で23年前を思い出す

  昨日のTVで、長女吉田由美子さん(当時24歳・女優)を亡くした横浜市栄区の吉田俊三さん(76)、公子さん(74)夫妻が訪れた御巣鷹尾根慰霊登山の報道を目にした。
  この日は、後に御巣鷹尾根と命名された高天原山の尾根(群馬県多野郡上野村)に、日本航空(当時)123便(東京羽田発、大阪伊丹行)ジャンボ(ボーイング)機が墜落した昭和60(1985)年8月12日(18時56分)から数えて23年目(24回忌)の夏にあたる。
  私は、この慰霊報道を目にして、事故があった当時、東京女子医大外科病棟に入院していたことを思い出した。ベッドで横になってTVを見ていたとき、19時前後頃だったと思うが、まずニュース速報のテロップが流れ、事故を知った。以後、刻々と、この報道一色になっていったTVを食い入るように見ていた。
  私は、外科手術を受けて、体は衰弱していたものの命にかかわることではなかった。しかし、このジャンボ機に搭乗した人たちは、約1時間もの間、上空で迷走するジャンボ機のなかで突然襲いかかってきた生か死のはざ間で相克しておられたのだ。既に死を想定して手帳などに遺書を書いていた人もいたという。
  挙句、必至で操縦かんを握りしめ乗客全員の生存の道を探っていた機長ら乗員を含め搭乗者全員が、この尾根に激突したジャンボ機とともに生死をともにした。524人の搭乗者のうち奇跡的に4人の生存が伝えられたときは、その天運に思いを馳せたりもしたが、最終的に520人もの人たちが一挙に生存の道を絶たれたことを知り胸がつまった。さらに、遺体の多くが誰なのかの判別もつかないように状態になっていると聞くにつけ、なんともいたたまれない気持ちに包まれ、TVの前で合掌した。あとで、この死亡者のなかに、歌手の坂本九さんや、ファンだった元タカラジェンヌ雪組・北原遥子(本名・吉田由美子)さんらがいたことを知った。
  あれからもう23年もたつのかと思うと、今、生きていることを感謝しなければと思う。
  なお、あの事故の翌年(22年前)8月養母が死亡し、私も身近な者の死と直面した。今年その23回忌法要を行う。
  ※画像は、吉田由美子さんの生涯を綴った図書(扶桑社刊)。http://www.fusosha.co.jp/senden/2006/05207X.php  

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