2008年6月14日土曜日

筑紫舞との出会い(2)

  長安寺(朝倉市)の森に囲まれた丘陵の斜面に、ひっそりとたたずむように建っている朝闇神社(旧大行事社か)を、初めて訪れたのは、昭和62年頃だった。
  小さな拝殿のなかの見返り部分の鴨居に、左手に盃を持った長者風の人の前で4人の坊主頭の修験者らしき人たちがかかとを立てて舞を舞う絵馬が掲げてあった。この爪先立ちで飛び跳ねるように踊る舞は、古代舞踊(九州王朝の宮廷舞)の原型の一つで、筑紫舞ではこの足の形を「ルソン足」というらしい。
  もっともこのことを知ったのは、この直後に読んだ古田武彦著「よみがえる九州王朝―幻の筑紫舞(角川選書)」によってであった。この本のことは、当時入会していたヤマタイ国研究会(福岡市)で教えられた。この本には、著者自ら撮ったという不鮮明な朝闇神社の絵馬の写真も掲載されていた。
  私は、当時同研究会の絵馬修復保存呼びかけに応じて協力金を供したこともあった。その後、この色褪せた絵馬の修復は不可能だったようで、筑紫舞の小道が整備され、絵馬の一部分が模写された陶板カラーレリーフが作られた。レリーフは、5枚あるが、4枚は筑紫舞とは関係ないのではないかと思う。
  また、この本を読んで「筑紫舞」という名前、そして姫路に筑紫舞の師匠西山村光寿斉さんが居られること、故菊邑検校さんが彼女に「筑紫舞」を伝えたことなどを知った。さらに筑紫舞で重要な舞である「翁」を舞う西山村光寿さんや筑紫さん(師匠の娘)らの優美な写真も脳裏に刻まれた。以来、先祖の神霊が必要とあれば、いつか姫路に行き実際の舞を観賞する日が来るのではないかと思っていた。
  それから14~5年経った平成12年、偶然のように筑紫舞の師匠西山村光寿斉宗家が福岡市香椎方面に居住されていることを知った。姫路まで行くことなく筑紫舞を福岡で観賞する機会が巡ってきた。また、上述の筑紫舞の小道のレリーフを初めて見たのも、同じ年であった。これらのことは、次回記したい。
 ※朝闇神社周辺の風景画像は、http://www.geocities.co.jp/hurutashigaku_tokai/trip2.htmからお借りしました。

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