2007年12月8日土曜日

風の果て尚足を知らず…

  毎週観ていたNHK木曜時代劇「風の果て 尚、足を知らず(原作藤沢周平)」が終わった。主席家老にまで上り詰めた主人公の桑山又左衛門(佐藤浩市)が隠居を前にその妻満江(石田えり)に語った言葉が印象的だった。
  「おやじ殿は今わの際に『風の果て尚悟れず』とおっしゃったがそのとおりだな。この歳になってもまだ足るを知らん、欲張りだ。だが体がついて行かん。」
  この主人公は、欲はあるが、老いには勝てないことを悟っていますね。
  人は、生きている限り欲があり、逆に欲があるから生きていけるのであり、欲を捨てることを悟りというのなら、なかなか生きている間に悟りを開くことは難しいですね。だから、人は、死ぬ間際に悟ることができれば、それで幸せなのかも知れません。つまり思い残すことは何もないという境地です。そうありたいですね。
  でも、人は反省したりして、その瞬間、瞬間で悟っていることは多々あります。神仏を信仰する人は反省するとき、神仏の前で合掌をしますね。この合掌は、和合や感謝の形であり、悟りの形を現しているのかも知れません。
  合掌しているとき、心が静まります。合掌しているその手と手に温かみを感じますね。そのとき、自分は今神仏の気に包まれて、手に神仏の気が入ってきている、この手は神仏と自分が一体になっている手なのだと感じてください。
  そして、自分が生きている間にすべきことがあるから神仏に生かされていると悟ることができたら、その生き方を知ることができます。そしてまた力強く生きていこうという欲がでたらよいのかも知れません。欲があるから生きられる、これがわかっただけでも悟りましたね。そして、死ぬときに、あの世に持って行くものは何のないと悟れば良いのです。
  ただ神仏を信仰する人が生きている間にすることは、少しでも欲を徳に変えていくことかも知れませんね。

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