2007年12月10日月曜日

「風林火山」二群雄の大将旗に現れる神仏

  NHKの一年に亘る日曜大河ドラマ「風林火山(山本勘助役:内野聖陽)」もいよいよ来週最終回、最大の川中島の戦いのクライマックスを迎える。 きはき
  このドラマに出てくる川中島で戦った二人の群雄、武田信玄(配役:市川亀治郎)と上杉謙信(配役:ガクト)の「大将旗」を見ていると、それぞれが深く神仏を尊崇していたことが分かる。少し調べたので次に紹介する。
  まず、武田軍のシンボル旗は、ドラマのタイトルそのものの「風林火山」の旗だが、もうひとつ大将旗として、本陣を守護する諏訪大明神の旗が立てられている。この大将旗の制作経緯は、ドラマのなかでも出てきたが、武田信玄(晴信)は、軍神としての諏訪大明神を崇敬しており、自ら筆で「南無諏方南宮法性上下大明神」と書いた。
  諏方南宮とは諏訪大社、上下大明神とは、諏訪大社の上社と下社の大明神という意味で、その「上社」大明神の本地仏は「普賢菩薩」で、「下社」のそれは「千手観音菩薩」である。
  法性(ほっしょう)とは神仏の真実の教えを敬うという意味ではないかと思う。神仏習合の時代背景があり、信玄が私淑した快川(かいせん)国師が住寺した恵林寺(臨済宗妙心寺関山派、信玄牌所、塩山市)には、信玄が描き礼拝した「渡唐天神像」が残されているというので、この法性には諏訪大明神を初めとする神々、そして大乗仏教の諸仏を崇敬しその守護を願うという意味がこめられていたのだと思う。実に信玄の神仏信仰は、宗派を超えて幅広い。
  なお、上述の快川は、信玄の跡を継いだ四男諏訪勝頼が滅した後、炎上する恵林寺山門上に端座して有名な「安禅不必須山水滅却心頭火自涼(あんぜんは、かならずしも、さんすいをもちいず、しんとうをめっきゃくすれば、ひおのずからすずし)」の一句を唱え、武田家滅亡に殉じたとされる。
  一方の上杉軍の大将旗には、「毘」の一字がたなびいていた。もちろん「毘沙門天」の「毘」である。
  上杉謙信(長尾景虎)は、七歳のときから林泉寺の天室光育禅師に預けられ、「毘沙門天」を自らを守護する本尊として崇めるように指導されたのではないかという。越後春日山城は、位置的に京都の北面にあるので、京都を原始仏教経典に出てくる須弥山(しゅみせん)に見立てて、須弥山の宮殿に住む「帝釈天」に従侍しながら須弥山の北面に住み北方を守るという「毘沙門天」を信仰し、自らはその化身であると信じたようである。
  なお、東方は「持国天」、南方は「増長天」、西方は「広目天」で、北方の「毘沙門天(多聞天ともいう)」を合わせて四天王というが、このなかでは「毘沙門天」が最強という。
  慈覚大師円仁の「入唐求法巡礼行記」に、船中の安全を阿弥陀如来の脇侍観音に祈願したら、観音は三十三身に変化した後、毘沙門天になって現れたという記述があり、まさに謙信は、それを知っているかのように「阿弥陀念仏」と「千手観音真言」も春日山城の看経所(読経所、お堂)で看経していたというからすばらしい。
  もう一つ「毘」の旗に並んで大将陣に立てられた「龍」の旗がある。彼が「越後の龍(神)」と称されて恐れられていたことを象徴するような旗である。竜神信仰もあったものかと思うが、彼の勇猛で実直な性格を現しているのかも知れない。
  参考文献「武田信玄と快川(小林圓照)」「上杉謙信と毘沙門天信仰(杉原哲明)」(大法輪第58巻第5号)。

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