2007年5月20日日曜日

たんぽぽと伊丹十三記念館

平成19年5月15日
 一昨日、道路美化作業のとき、アスファルト道路の縁部分で鮮やかな黄色の花を咲かせている「タンポポの花」に気づいた。今朝行ってみると開花は終わっていた。綿帽子はまだできてなかった。孫はタンポポの綿帽子を吹いて飛ばすのが好きで、綿帽子をフーしたら、種をつけた白い綿の一つ一つが一斉に風に乗って四方に飛び散っていく様子に爽快感を感じるのだと思う。本当に良い場所に飛んでいって根を張ってほしいと思うものだ。5個ほど引き抜いて花壇の端に移植したが、アスファルトの縁に移植ごてが入らなかったので根元から完全には抜けなかった。雑草だが、黄色の花の色の鮮やかには癒される。また、冬の間、地に這うように葉を広げ、寒さに耐える力強さには励まされる。
 なぜ雑草のタンポポをわざわざ抜いてきて庭に移植したのかというのは、昨日テレビで「伊丹十三記念館」(松山市東石井)オープンのニュースを見ていて、伊丹十三の妻宮本信子(女優)が、開館日を伊丹の誕生日である5/15に合わせたほか、伊丹十三が「タンポポ」を好きだったので、特に記念館の中庭にはこだわって「タンポポ」を植えたと言われたので、タンポポを庭に植えても良いのだと思ったからであった。伊丹十三監督の映画のなかにも、「タンポポ」という作品があったと思うので本当に好きだったのだろう。
 なお、「伊丹十三記念館」は、その名前にちなんで、「13のコーナー」に分かれているという。神奈川県湯河原町で撮影された「お葬式」の撮影セットが再現されており、本当に記念館内こんな祭壇の展示があるのは珍しいと思う。それにしてもその名「十三」は、仏教では成仏に導く「十三仏」を指すありがたい仏の数ではあるが、1997年自殺(享年64歳)で人生を閉じられたのは惜しまれる。
 ※画像は、伊丹十三記念館の概観、http://itami-kinenkan.jp/

端午の節句と菖蒲湯

平成19年5月5日のこと
 昼頃、ふと思い出したように妻に「菖蒲湯にする菖蒲の束買ってきた?」と尋ねたら、「どこで売ってるの?今までしたことないよ」と言われた。今までしたことなかったのか。そうしてみると私の記憶は子供のときのことなのだろうか。記憶はあるがいつのことなのか思い出せなかった。しばらくして買い物から帰ってきた妻が「菖蒲あったよ、このまま風呂につければいいんだよね」と言った。
 夕食のとき、孫が「こどもの日にどうして菖蒲湯に入るの?」と聞いたので、「菖蒲は勝負と同じ発音だから、菖蒲湯に入って勝負に強い子に育つようにということだよ」と答えたが、黙っていたので理解できたのかどうか分からない。
 毎日新聞「余禄」欄を見ていたら、確かに「菖蒲」は「尚武」や「勝負」と同音なので、それと同じ意味に見立てられ心身の丈夫な男子に育つようにとの願いがこめられて端午の節句の祝いに使われたとある。元は菖蒲の葉を束ねて、それを刀に見立てて男の子たちが合戦をし、その束でたたかれると息災になるという「魔よけ」の行事があったという。この遊びが、江戸時代に端午の節句に菖蒲の葉束で地面を打つ魔よけの「菖蒲打ち」となったらしいが、菖蒲湯の風習はいつのことなのだろう。
 こうして今夜、当家では初めての「菖蒲湯」に入ることになった。照見行脚の修行をする者は勝負にも強い心身を育てておかねばならないだろう。

お教や賛美歌は短調音楽

平成19年5月2日「修験道60号)」着
 田中利典氏の特別講演「修験道に学ぶ子育てのありよう」のなかで現代音楽は、コマーシャルソングにいたるまですべて長調で作られており、短調がまったくないので、それを聞きなれている子供たちは、幼児にいたるまで、短調で構成されている日本の子守唄には馴染まないばかりか拒否するという。そのため人間の悲しみや愛情の念などの感性を育てる短調的な情緒に欠ける子供たちが育っているというくだりは、何か納得できるような気がした。賛美歌とかお経などの宗教音楽は全部短調に起因する音楽だという。
 そうしてみると小さいときから般若心経を覚え仏壇で称えることができる子供や、基督教系の幼稚園や小学校で賛美歌に馴染んでいる子供たちは、きっと情緒ある子供に育つと思う。ぜひこういう情緒ある人たちがこれからの社会のリーダーになって行くことを望みたい。
 今社会を見渡したとき、経営者や教育者と言われる人たちの中にも人としての情愛や情緒に欠けているのではないかと思える人がいる。その人たちは、心底から一生付き合える人ではなく、決して人々からいつまでも尊敬され続けることはないと思う。ひょっとしたら長調で育った人たちなのかもしれない。
 正見行脚を行じる人たちは長短兼ね備えた人であってほしい。神仏は短調的な感性の持ち主に宿り、意義ある人生を全うできるように導いて行かれると思う。

2007年5月19日土曜日

「上高場大藤」満開の香華

平成19年4月30日のこと、本尊祠等に大祭成就御礼行(5人)
 「観音堂」
 壇の端に「奉納品一覧表」が透明のビニール袋に入ったままの状態で置かれていた。壁に画鋲で止めていたものだが、地元の人が外れているのに気づいてそこに置いてくれたのだろう。ありがたいものだ。この用紙に、奉納品の書き込みをするたびに毎回、画鋲を外し止めなおしていたので、板壁に画鋲の針穴がたくさん付いていた。外れたのは、もっと貼り方の工夫をしろということなのだろう。いったん持ち帰り、PCで打ち直して、次回行くまでに貼り方の研究をしておくことにした。
 花瓶の花は、今日上げられたもののようで美しく、まるで私たちの参拝を待っておられたかのように思えありがたかった。お神酒を上げ「4/22大祭成就の御礼」勤行を行った。お神酒は、本尊祠参拝後、周囲にまいた。
 「本尊祠」
 大祭前に参拝したとき祠の前で地表に頭をもたげようとしている竹の子2本が目に付いたが、既に折り倒されていた。地元の人が処分されたのだろう。お供えとしての役割が済んだということである。
 祠では、終始強風が吹きつけていたので、灯明は立てず、お神酒を上げ「4/22大祭成就の御礼」勤行をした。しかし、参拝を終えお神酒を周辺にまき、道路に戻ったらまったくの無風状態だったのでとても不思議な感じがした。門番犬は、吠えてはいたが、敷地の奥に座ったままだった。歳も重ねてきているからなのだろうか。
 「松峡宮」
 鳥居をくぐり左側の天満宮社後方にある「天神祠」や「道祖神碑」などを久しぶりに参拝した。天神祠内の木造2体の御神像は風化が進み痛ましい。
 石段を登り松峡宮拝殿に上段してお賽銭を上げ、今年初めて参拝した。広瀬宮、田神祠にも参拝した。田神祠は扉に亀裂が入って前方に傾き危険な状態になっていた。その前方の通路は一部崖崩れしてビニールシートが被せてあったが、同所にかかる拝殿の地盤も緩んでおり、その上の拝殿の屋根瓦などもずれているようだった。
 「上高場大藤」
 帰路、途中で食事をしていたら、まだ見たこともない上高場大藤が浮かんできた。この大藤は、松峡宮末社の上高場大神宮境内にある。今、季節的にこの大藤が満開ではないかと思い、それを松峡宮の神が教えられたのだと感じ、急遽行ってみることにした。
 今戻ってきた道をまた引き返し、松峡宮からから国道を横切ってまっすぐ行けば良かったのに勘違いして下高場を回り、かなりの遠回りをしてしまった。この勘の鈍りが照見行脚(若しくは正見行脚)から遠ざかっている証かも知れない。それでも、しかるべく到着することができたのは、やはり神の御加護あってのことだと思う。
 樹齢100年以上といわれる藤の大幹から伸びる多くの枝に垂れるように咲くたくさんの藤の花が満開で美しく、あたり一面に何ともいえない甘い香りが漂い癒される思いがした。樹木から発散される霊気をたくさん浴び、身体が浄化されていると感じた。やはり、神々がここに誘われたのであった。このような満開のときに運よく行き合わせることができ、樹霊の気を大いにいただくことができたのは、神の導きがあってのことだと思う。
 そのなかで大神宮にお賽銭を上げ参拝、境内の中国天神社にも御挨拶をした。同天神社内に数体の木造神像が安置されていた。こうしてきちんと整備して安置されていると、前述の天神祠のなかの御神像のような風化は防げるのにと思った。
 後になってわかったことだが、勘違いして下高場を回ったと思っていたことは、そうではなく下高場の観音様を迎えに回ったということだった。そういえば、観音堂の前を通って行った。まだまだ神々がされる導きは、それとすぐに気づかないことが多い。