2008年12月10日水曜日

「けじめ」をつける(実母のアルバム⑩)

  母の身内に心から母のことを慕い、心配してくれた人がいたのだろうか。母が残した書類の中に、CやDの金銭借用書があった。母が常々「お金を貸したが返してくれない。あげてもいいと思ってはいるが、貸してくれと言って借りたのだから、いったんは返すのが筋。それがけじめ」と言っていたが、その話は事実だったようだ。
  母の死後、Cは、私に「お母さんが亡くなっても絶対に返します」と口にしたが、母に督促されても返さなかったものを私に返すはずがない。Dは「お母さんが、そのお金は返さないでよいといっていた」と言った。
  母は、1人で生計を立てていただけに、お金のことはシビアであった。世話になった人にはきちんとお礼をし、お小遣いをあげたりする人だったが、貸してくれと言って貸した人にお金を返さないで良いと言うような人ではなかった。母が貸したお金を返してもらおうとは思っていないが、けじめのわからない人たちを悲しく思う。C、Dとも母の遺品を運び出した後は何の連絡もない。
  なお、母の遺品に群がった人たちがTVアンテナやトイレマット、トイレットペーパーなど、まさかと思えるような品々までも運び出したのには驚いた。
  生前、母は、私に「お前は、人に借金したりして迷惑をかけるようなことはしないが、私の周りには、私からお金や金目のものを取ろうとしている人が多い」と嘆いいたことがあり、当時、私は母の妄想と思っていた。しかし、今は母の嘆きの意味を理解できる。
 [死者に合掌せず]
  もう一つ残念なことがあった。母に、子供ときから育ててもらった人が、新興宗教Eに入信し、母の死に際して合掌一つしなかったことである。自分たちの実父の死のときもそうだったという。本人たちは基督教と言っていたが、本当にキリストはそんな教えを説いたのだろうか。
  ところで、母が入院中に「いつも親切にしてもらっている」と言っていた看護師(男性)がいた。母がこの看護師に好きなのは何かと尋ねたら「焼酎が好き」と言った。母が私に「彼に焼酎をあげたい」と言った。そのことを知った婿が鹿児島に出張したときに買った焼酎をくれた。この焼酎を彼にあげたらすごく喜んでいた。
  母が死んだ朝、出勤してきた彼と廊下出会った。早朝に私が病院にいるので不思議に思い「どうかされましたか」と声をかけてきた。母の死を知った彼は看護服に着替えた後、「お別れをさせてください」と霊安室で合掌した。その看護師の姿を見た看護長が「早く持ち場に戻りなさい」と注意した。
  焼酎2本を貰っただけなのに恩義を感じ、持ち場を離れてまでも霊安室に行き合掌を捧げた看護師がいるのに、どうして上述の人たちは合掌一つできないのだろう。
  身近な人の死を悼み合掌して気持を捧げるのは自然の姿である。自然の流れに逆らうような教えに染まってしまった人たちなのだろう。
  葬儀の流れの中で最初から一切顔を出さないのならまだしも、食事時には大挙して押しかけてくるのが不思議だった。たとえば通夜には出席せず、その後、故人とのお別れを惜しむ飲食時には出席する、さらに翌朝告別式前のおときに来て食事をし、告別式が始まるといない。火葬場に行くバスに大挙して乗車、そのため大型バスを手配しなければならなかったが、火葬している間の待合室での飲食に参加したが、遺骨は拾わない。料亭での法要の間は誰も姿を見せず、精進あげが始まるとどっと入室する。当然、御霊前は包まない、線香は立てない、焼香はしない、合掌はしない。
  そして、「私たちは生きている人には尽くすが、死んだ人を悼むことはしないという教えに忠実に従っているだけです」と主張する。道理に反する教えは無意味である。世話になった人に対する感謝の気持が伝わってこない。死者を悼むことはしないが、死者が残した遺品はいただく。母は、この人らを、どんな育て方をしたのだろう。
 [けじめ]
  当初は、母の家を売って分けようと考えていた。しかし、それは、母の本意ではないことを悟った。母が残した遺品のすべてを与えたことで、私との関わりも終わった。人としての道理や人情が通じない親戚は要らない。これが、霊界に赴く母が下した最後の「けじめ」であった。ただ、亡母の供養をしてくれる人には別に考えている。  母は、自由闊達に生きた人と思っていたが、本当は、身内の多くに頼られ裏切られていた寂しい人だったのかもしれない。

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