実母との交際を絶って10年後、母から「主人が死んで丁度10年経ったからもう会ってくれもいいでしょう、相談があるから来てほしい」と電話があった。
縁を切っていたはずだが、母の方から「相談がある」と言われると、そこにはどうしても説明の付かない気持ちの動きがあった。そして、母の家を訪れた。
会うと、親子の10年の溝は一瞬のうちに埋まってしまったかのようであった。相談とは、母が所有していた中古アパートに関することで、「A君が、アパートを壊して、1ルームマンションを建てる計画を勧めているが、どうしたらよいか」ということであった。
その後、母の家で、AとAが連れてきた不動産屋さんにあった。不動産屋さんは、「満室になれば収益が出ます」「お母さまは年老いておられるが、商売をして銀行の信用があるA氏が保証人になれば銀行ローンが組めます。A氏が保証人になった後、もしもお母様に何かあったときは、お母様名義のものはすべてA氏が受け取り引き継ぎます。そのために、お母様と付き合っておられない実子のあなたに遺産放棄をしてもらいたい」と言った。
黙って聞いていたが、許されないという思いが湧いてきていた。聞き終わったと同時に私の口が開き、次のようなことを言った。
「ワンルームマンションの需要が長期に続くとは思わないし、現在設定した家賃の額をいつまでも維持できるとは限らない」 。
「この計画では、満室になっても収益が少ない上に、満室にならないと赤字になる。この計画を実行すると、途端に母の生活が困窮するのが目に見えている。このような採算の取れない計画には絶対に賛同できない」 。
「母と付き合っていないというが、母には今のアパートがあり、生活は困らないという背景があり、安心感があったから付き合わなくても平気でいられたのだ。そのことを他人にとやかく言われる覚えはない」 。
「だいたいA(呼び捨て)は母の何なのか。銀行が信用しても私は信用していない。そんな人に保証人になってもらう必要はない。他人のあんたに遺産放棄しろと言われて、はい、そうですかと答える義理はない」。
これに対して怒った不動産屋さんは、「私の店舗に来て親分と会って話をしてくれ」と意味不明の話をしだしたので、「いつでも会うよ」と応じたら、母が「喧嘩はしないでくれ」と言った。
後日、この不動産屋さんの店舗に赴き、ここには書けないやり取りがあったが、結果的にこの計画は消滅した。
計画を壊した私に対して、母は、意外とさばさばとしていた。迷っていた気持ちが吹っ切れたようだった。
その後、私は、母にI不動産を紹介して次のことを実行に移させた。①アパートの管理一切をI不動産に変更し、I不動産に手数料5%を支払い、その管理一切を委託させる。③アパートの家賃を下げて全室を満室にすること。そのお陰で、家賃集金に関わる心労は減り、逆に母の収入は増えた。
しかし、年月の経過とともに、入居者が入れ替わるたびに家賃は徐々に下がり、その上、台風や地震などによる被害で建物のあちこちに傷みが生じ、その補修費がかさむようになった。また荷物を置いたまま行方知れずとなる人がいたりして、その廃品撤去にも費用がかかるといった状況も出だした。次第に母はアパートに手をかけることを止め、空き室が出ると新しい人を入居させることもしなくなった。母の死後、築35年になるこの古アパートを相続したが、現在、その取り扱いに苦慮している。
しかし、もし母が当時Aの計画に乗っていたら、確実にマンション経営に行き詰まり、その後の人生は暗礁に乗り上げていたはずである。だが、この一件がなかったら、本当に一生、母と再会する機会がなかったかも知れない。私を再び母に近づかせるために、Aは悪役を演じさせられたことになる。これが神仏の見えない力である。母にとっても私にとっても、あの時点で完全に親子の縁を断ち切ることは許されなかったのだろう。
しかし、以後10数年間、母が入院するまでは、是々非々の付き合い方をしてきた。あまり親身になりすぎると、1人暮らしが長い母にいろんな疑念を抱かせてしまうことになりかねないと思っていたからである。
そして、今回再び私の前に立ちはだかったAは、今度は完全に信用を失い、母が死を迎える前に除外された。せっかく母の面倒を見てきた好意が、心がけの間違いで悪意であったことが露見したからではあったが、結果的には、Aは、私に母に対する最後の孝行をさせる機会を与え、母の葬儀を執行させるための役割を演じたことになる。
これらのすべては、神仏の見えない力や導きによるもので、神仏は、「必要なときに必要な人にいろいろな役割を演じさせられる」のである。
※画像は、http://www.printout.jp/clipart/clipart_d/03_person/02_woman/clipart1.htmlからお借りしました。
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