2007年3月15日木曜日
三世乃柵108体目の仏縁
昨日、小生を介して「三世乃柵」の申し込みをされた108体目の申込者に柵を送った。 先月、あと一人申し込みがあれば、その人が108体目の受者になると分かり、ぜひこの108体目のめでたい仏縁を誰かに頂いてもらいたいと思って、何人かの人に勧めたが、その人たちは、まったく反応を示されず、縁のない人たちに勧めてしまっていた。 ところが、2月26日、思いもよらず、私の知らないご家族3人が申し込んでこられた。以前柵を受けた人が、知人に勧められて、そのご家族3人が申し込みをされたのだ。そのため、このご家族3人が同時に108体目の仏縁者となられた。このご家族3人も、勧められた人も、そんなこととはまったく知らずに、このありがたい仏縁を頂くことになった。よほどの幸運に恵まれる人たちだったのだろう。累計すると110体になった。 然るに、この108体目にいたるまでには、107人の人たちが柵を手にしておられ、この人たちが受けられた柵の積み重ねの上に108体目の柵が存在するのであり、これにより、この全員が同時にありがたい108体目の仏縁をいただくことになった。また、I様をはじめ、これまで多くの知人に勧められた人は、その人数以上のご利益をいただくことにもなった。 柵を受けるために納めたご供養料は、自分のご利益のためだけに頂くためのものだけではなく、神仏に対するお布施であり、ご先祖のご供養料にもなっている。そして、この柵を受けるための供養料の額に匹敵するご利益を神仏から受けることになる。 仏教には三宝を敬うと言葉があるが、その敬う方法の一つにお布施がある。神仏の名を借りて法外なお布施を請求する霊感商法はいかがなものかと思うが、ご先祖のご縁あって知りえたご縁ある神仏に必要なお布施を差し上げることは、ご先祖が喜ばれる。この喜びが、その金額の何倍にも匹敵する御利益をもたらされることになる。 柵を持っているのに節分祈祷札を申し込む必要があるのかと言う人がおられるが、この祈祷札の申し込みも、お布施だと思うとよい。祈祷札の申し込みも、ご先祖に対するご供養になる。神仏はその人のお布施の心と行いに対して有形無形の形で応えてくださる。祈祷札を人に勧進することも、柵を人に勧進することもお布施の心と行いそのものである。
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