2008年5月31日土曜日

日本海海戦・・・沖ノ島沖津宮や東郷神社参拝の思い出

  5月27~28日は、日露戦争の「日本海海戦」があった日。それは、今から103年前、明治38年(1905)、沖ノ島の北西沖で、東郷平八郎大将(後に元帥)率いる日本連合艦隊が、ロジェストウェンスキー中将率いる当時世界最強の帝政ロシア第ニ太平洋艦隊(バルチック艦隊)を破った戦いである。
  帝政ロシアにとっては、旅順戦役に続く敗北であったが、日本にとっては、負ければ帝政ロシアの植民地にされかねなかった。この海戦は、有色人種が白人に初めて勝った瞬間として世界中を驚愕させたという。
  当時帝政ロシアの植民地であったフィンランドは、これを機に独立したので、現在も東郷元帥を讃えてその肖像入りの「東郷ビール」を販売しているそうである。
  宗像大社(福岡県)では、この勝利を記念して、毎年5月27日に「沖津宮現地大祭」を実施している。私は40歳前後頃に一度だけこの現地大祭に参加したことがある。前日の26日に渡船で筑前大島に渡島、中津宮境内で宿泊、27日午前7時、漁船に乗船し出港、船の甲板上で玄海灘の荒波を何度もかぶりながら8時半過ぎに沖ノ島に上陸した。直ちに素裸になり、海中禊を行った後、原生林が生い茂り、巨岩が露出するなかにたたずむ沖津宮に参拝した。大島帰港は午後2時頃だったか。
  沖ノ島のものは一木一草持ち帰ることはできないが、禊場の近くで出ている飲料水だけは持ち帰ってもよいといわれ、少量の水を水筒に入れて持ち帰り神殿に供え、庭に撒いた記憶がある。
  ただ島内でのことは一切口外不可の掟があり、文献等に紹介されていること以外は未だ誰にも口外したことがない。それだけに今も鮮烈に覚えていることもあるが、記憶が薄れてきていることもある。その後、もう一度行きたいと思いつつ、実現しないままに今日に至っている。
  今も女人禁制を厳守している日本の神聖地は、この沖ノ島と大峯山(奈良県)だけである。私は、この2か所の神聖地を踏破しており、それだけでも恵まれているのかもしれない。
  福岡県福津市渡にも大峰山があるが、そこに東郷元帥を祀る東郷神社があり、私はここで護摩を焚いた記憶がある。
  また東京の東郷神社(渋谷区)近くのアパートに住んだこともあった。この東郷神社は、現在「靖国神社」に祭られているA級戦犯を東郷神社境内の「海の宮」に移座し合祀することを提唱している。若い頃、あるA級戦犯の御遺族の女性と言葉を交わしたこともあった。
  ※画像は、沖ノ島、http://wadaphoto.jp/maturi/munakata.htmからお借りしました。
  ※旅順戦役については、本ブログ2008/2/28乃木希典伝「斜陽に立つ」完結に関してを参照ください。

2008年5月25日日曜日

太王四神記でキハを演じるムン・ソリから目が離せない

  ドラマ『太王四神記』を観ているが、キハを演じるムン・ソリの演技力が光っている。
  キハは、タムドク(ペ・ヨンジュン)が18歳で即位する前の恋人であるが、その役を演じる女優がムン・ソリでは、老けすぎているのでないかとしてミスキャスティング論争があったという。
  確かにムン・ソリは、撮影時(2007)33歳で、2003年『浮気な家族』での過激なセクシーシーンを演じたイメージもあるので、ういういしさに欠けるとして問題になったのだろうか。
  それでも彼女の知的で凛々しい演技には年齢を感じさせない若さ、美しさを感じる。
  キハは、後にタムドクと対立し、タムドクはスジニを愛するようになる。スジニを演じるイ・ジアは、新人女優で演技力は未知数だが、若村麻由美を見ているようである。
  ドラマのなかで展開するこの二人の女性とタムドクとの相愛、相克のラブストーリには、愛別離苦、怨憎会苦(四苦八苦のうち)を強く感じるが、それらを含めてドラマ全体は、転生により生を得た者が前世の運命に翻弄されるように展開している。実に前世の因縁の恐ろしさを見せられているようでもある。
  さらに、高句麗王朝で四方守護神とされた四神(玄武、朱雀、白虎、清龍)が出現し、物語を一挙に神秘的な世界に巻きこんで行く。四神といえば高松塚古墳装飾壁画(国宝、昨年4~6月カビによる退色劣化で石室を解体し現在修理中)を思い出す。
  ところで、高校日本史に高句麗王19代の好太王(三国史記では広開土王)[391年18歳で即位、413年39歳で死亡、在位21年]の功績を記念して、その子長寿王(ジャンスワン)が414年に建立した「好太王(広開土王)碑」(中国吉林省集安県通溝所在)が出てくるが、タムドク(談德)とは、この好太王の即位前の名前。即位後は、永樂大王(ヨンラクデワン)[韓国史上初めて永樂という年号を使う]とも言われたが、死後の廟号が国岡上広開土境平安好太王(クァンゲトワン)であったので、通常は好太王(広開土王)という。なお、碑文には、4世紀末に倭が百済と連合し高句麗と戦ったことが記されてあり、改めて高校日本史の記述を思い出した。
  まだドラマ(NHK毎土23:10)は、7/24回が終わったばかりだが、今後の壮絶な愛と戦い、そして愛憎苦の戦いに挑むキハを演じるムン・ソリから当分目を離せそうにない。

2008年5月22日木曜日

村上元労相、吉野山で断髪

  村上正邦元労相は5月15日東京拘置所に収監されたが、その直前に奈良県吉野山で断髪されたという。
  政治評論家山本峯章のデータファイル(5/20)によると、「印象に深く刻まれたのが、かつて後醍醐天皇の皇居がおかれた吉水神社での村上先生の断髪式であった。…村上先生は、・・・泰然としておられた」とある。  
  また山崎行太郎の毒蛇山荘日記によると、「村上先生は、収監を前に、穏やかに、しかし信念をもって明鏡止水という言葉で、あるいは千日回向を目前にした山伏の心境に託して、今の自己を語れる・・・政治家としての懐の深さ、その政治哲学の深遠さ、人間的な大きさを感じさせられた。」と述べられている。
  吉野山は、修験道・神仏習合の蔵王権現をいただく金峯山修験本宗の総本山金峯山寺(国宝蔵王堂)を擁し、南北朝時代に後醍醐天皇の南朝皇居が置かれた山であり、国体を論じる村上氏が断髪するには相応しい地だったと思う。きっと氏は、今回の禊を経て、吉野山の神仏の御加護をいただけるだろう。
  断髪式をされたという吉水神社は、私が修験道の修法修行をした別格本山東南院研修道場前の奥まったところにあり、吉野山の上・中千本桜を眼下に鑑賞する絶景(一目千本)の地でもある。私は、吉水神社門前の民宿新富を定宿にしたこともあった。
  日本再生一滴の会ブログによると村上氏は、昨年6月にも吉野山を訪ねておられる。そのとき哀愁をこめて詠まれた葉桜の歌があり、吉野山を深く愛されていることがわかるので、ここに転記させていただく。
   「葉桜や緑芽を研ぐ雨あがり」
   「花は葉に吉野の山や夢の跡」
   「太平記四本桜の蔵王堂」
   「花は葉に吉野の山は静まれる」
  村上氏が一日も早く国政に復帰されることを願ってやまない。
  ※画像は吉水神社。

2008年5月20日火曜日

氏八満神社(宗像)の鳥居下で不思議な体験の思い出

  機関紙「宗像5月号」の「氏八満神社春祭」の記事を読んでいて、神霊を感得する法を求めていた頃に体験した不思議な出来事を思い出した。
  ある冬、氏八満神社鳥居前に車を停め、下車して鳥居をくぐろうとしたとき、その真下で金縛りのような状態になった。誰かに額を抑えられているような感じで足を前に踏み出せない。不思議なことに、後には下がれるが、前に進めない。数回、後ろに下がっては前進を試みたが駄目だった。
  まったく意味がわからず、車の後部を鳥居に向けて停めたのが御無礼になっているのかと思い、車を逆転して改めて挑戦したが結果は全く同じであった。鳥居の下に目に見えないバリケードが張られているような感じであった。
  どうしても納得できず、日を改めて再度行った。今度は、宗像大社駐車場に停めて歩いた。外気が凍るように冷たく、鳥居前に着いたときは、耳が切れるほど痛んでいた。にもかかわらず、結果は、前回と同じで、またもや鳥居下で前進を阻まれた。
  このとき、神霊を感得したいと求めていた心に、体で神の霊力を感得させられたことに気付いた。また、神域との結界を示す鳥居の重要性を認識した。修行をしている者が、鳥居の先にあるものを見窮めることもせずに安易に鳥居をくぐるなと言われているように感じた。
  その後、神社の境内に入らず鳥居前で神霊を感得する修行を試みるべく宗像75社(実際は宗像郡・市を越え108社に及んだ)を巡った。この修行の年月を経て、再び氏八満神社を訪れたときは、何の抵抗もなく鳥居をくぐることができた。神霊に導かれるようにひたすら急な山の斜面を上下した記憶があるが、神殿を参拝した記憶がない。
  それ以後、同神社に行ったことがないが、今回「宗像」を読んでいて、初めて、宗像氏貞の家臣に暗殺された菊姫、山田局、侍女四柱が祭神であることを知った。氏貞は、後に暗殺の舞台となった山田(宗像市)に増福院(曹洞宗)を建立し、6人の怨霊を鎮めるために六地蔵尊を安置して回向したが、宗像大宮司家の嫡流はこの氏貞の死で断絶した。
  宗像大社の神域の一画に怨霊社があるのが不思議にも思えるが、私にとっては、上述の不思議を戴き、さらに多くの不思議を戴いた宗像75社巡拝の出発点となった神社であった。今「宗像」の記事を見て、このことを思い出したのも何かの知らせであると思う。改めて意を決して再度巡拝する機会が近づいているのかも知れない。

2008年5月18日日曜日

ミャンマー・パゴダで合掌していた少女

  3月10日以降続いていたチベット騒乱のさなか、5月2~3日サイクロンがミャンマーを襲い、続いて12日の中国・四川大地震が起きた。四川大地震では、15日中国が日本の国際緊急救助隊を受け入れたが、ミャンマーは拒否している。
  ミャンマー(旧ビルマ)といえば「ビルマの竪琴」の水島上等兵を思い出すが、第二次大戦時、日本軍は同国で約17万人の戦死者を出した。
  戦後、日本はいち早く同国の復興に力を注いだので、同国の国民の多くは日本に対して好意を持っているというので残念に思う。
  和布刈公園山頂にある「平和パゴダ」(北九州市門司区)は、昭和33年に日本人ビルマ戦線戦没者供養のために、日本と当時のビルマ政府仏教会資金を出し合って建立されたもので、現在同所でこの戦没者供養の中心になっているウ・ウィジャナンダ大僧正(昭和54年ミャンマーから来日)は、母国の政情を憂いつつ今回のミャンマーでの被災者に対する日本を初めとする国際支援を望んでおられる。
  私は、10数年前、当時務めていた大学で、ひとりのミャンマー人女子留学生を受け入れたことを思い出した。
  身元引受人は、当時筑豊で料亭を営んでおられ、ビルマ戦線での生き残りだと言われた。
  多くの戦友を失い、生き残ったことに戸惑いを隠しきれずにいたが、亡くなった戦友の供養のために何度もミャンマーを訪れ、現地にパゴダを建設された。
  その除幕の日、一心に合掌して祈りを捧げている少女に目が留まり、声をかけたことから交流が始まり、やがて日本での父親となり、日本の大学に留学させることになったといわれた。
  私の実父が南太平洋で戦死したことを話したら、自分が焼いたという湯呑み(陶器)を贈呈された。毎日、その湯呑みにお茶を入れて仏壇に上げていたが、あるとき割れたので残念に思っていたところ、後で氏が亡くなられたことを知った。きっと戦友のもとに旅立たれたのだと思う。
  彼女は、日本語も上手になり、学力も優秀、卒業するときは民族衣装を着てきますと言っていたが、その前に私が退職したため、見ることができなかった。
  彼女は、その後、国立大学院を修了し、現在も国内に居住しているが、母国の状況を知ると複雑な思いにかられていることだと思う。
  今回のミャンマー被災ニュースを見ていて、忘れかけていたことを思い出した。この10年間、私は仕事に追われるあまり縁ある人たちと疎遠になっている。
 ※画像は、http://www.data-max.co.jp/2008/05/2008515_1.html(一部記事参考)からお借りしました。

2008年5月14日水曜日

仲間由紀恵は「ごくせん」が一番似合ってる

  仲間由紀恵は、やはり「ごくせん」が一番似合っていますね。
  今回は、第3回目のシリーズで、日本テレビ開局55周年記念番組と銘打っているだけにゲスト出演者にも迫力がある。4回目(5/10)には、タレント・ブログの女王といわれる人気絶頂の山田優が、三浦春馬扮する風間優の姉役で出演していた。
  スタイル抜群の彼女の、弟に対する啖呵も心地よかったが、仲間由紀恵扮する山口久美子先生の迫力満点の人情味溢れる啖呵は、ますます健在で冴えている。観ていてスカッとし、ストレス発散にはよい。
  世をひねたような高校生のなかに分け入って、同化し、その心を徐々につかみ、全員を卒業させていくその手腕はいつ見ても感心させられる。熱血先生が持っているような情熱が世間で理解されない時代になってきているので、観ていて感動を与えるのかも知れない。
  風間に対して、こんな啖呵と諭しがあった。
  「ふざけたこと言ってんじゃねえよ。今まで自分ひとりで生きてきたとでも思ってんのか。お姉さんが餓鬼だったお前支えて今まで守ってくれたからだろうが。」
  「いいか風間、家族って言うのはな、居て当たり前みたいに思えるけど、そうじゃない。どんな形でもいつか別れが来る・・・だから、それまではどんなにうざくてたって、面倒だって支えあって生きていかなくっちゃ駄目なんだよ。お前もお姉さん守ってやんなきゃ駄目なんだよ」
  「お前にしかできないんだよ。お姉さんにとってお前はたった一人の家族なんだから」
※画像は:www.takoyaki.org/comments.php?id=901_0_1_0_Cからお借りしました。

2008年5月6日火曜日

「篤姫」でお近をシックに演じるともさかりえ

  NHK大河ドラマ「篤姫」は、篤姫の大奥入城でいよいよ中盤に入るが、毎回観ていて癒されると思う役柄を演じている女優がいる。小松清猷の妹お近(ちか)役のともさかりえ(28歳)だ。
  お近は、香道を通じて篤姫と気持ちが通じあえる仲となったが、香道には癒し効果があると考えられるので、香道をたしなんだお近には癒しの力があったと考えられる。ともさかりえは、この癒しの力のあるお近役を実にみごとに演じていると思う。
  ともさかりえが出演したドラマを観たのは、連続ドラマ「ロッカーのハナコさん」(2002年と2005年)以来のこと。「ロッカーのハナコさん」では、毎回爆笑させられていたが、今回は、時代劇で主役ではなく目立たずシックな役である。このお近の素直で謙虚でかつ芯の強い姿がにじみ出ており、彼女が出てくる場面になるとホッとする。
  お近は、瑛太(えいた)が演じる7歳年下の肝付尚五郎(きもつきなおごろう)、後の小松帯刀(こまつたてわき)を婿に迎え、小松家を守るが、やがてくる幕末の動乱のなかで薩摩藩家老となった夫は薩長同盟の立役者となり篤姫に刃を向ける立場となって行く。お近は、かつて篤姫とはその姉のように相談に乗り親交が深かったので、このような情況のなかで、ともさかりえがこのお近の役をどのように演じるのかに期待している。
 ※画像は、大河ドラマ「篤姫」の登場人物http://www.nhk.or.jp/taiga/cast/cast1.htmlからお借りしました。