たまたま手にした「リンクル化粧品」のチラシに女優吉沢京子の顔写真が載っていた。
現在も女優として各方面で活躍しておられるのだとは思うが、まったくその様子を知らず、私の脳裏には、若い頃の吉沢京子の顔だけが残っていた。そのため、このチラシを見たとき、すぐに吉沢京子だとは分かったが、一瞬、脳裏に残っていた吉沢京子のイメージと違うと思った。
それもそのはずで、私が、最後に吉沢京子が出演している映画を見たのは31歳の頃のことで、以後、舞台でも雑誌でも見た記憶がないので、そのとき見た吉沢京子の印象が35年間ずっと脳裏に刻まれたままだったのだろう。その映画のタイトルは「涙のあとから微笑みが(1974年作品)」、吉沢京子20歳のときの作品だったと思う。かなり心に響く衝撃的な映画だった。
チラシの見出しには「デビューから41年」と書いてあり、また「柔道一直線のヒロイン」と注釈のある当時のセーラー服姿の写真も載っていた。この「デビューから41年」というのは、13歳で映画デビューした「燃えろ!太陽(1967年)」を指しているのだと思う。続いて「柔道一直線(1969年、桜木健一主演)」のヒロイン(ミキッペ)を演じたときは15歳で実に可愛かった。
その後、「さぼてんとマシュマロ(1971年)」や「父ちゃんのポーが聞こえる」などに主演し、同学年の岡崎友紀とともに清純派アイドルと称された。現在の「アイドル」という言葉や概念は、当時、この二人によって確立されたそうだ。
吉沢京子がデビューし、アイドルとして活躍していた当時、私は既に社会人になっていた。青春の夢の実現に人生を賭けて戦い破れ、方向転換を余儀なくされた時代のなかで、吉沢京子の活躍を横目で見ていた。私にとっても青春のアイドルだった。その吉沢京子も既に54歳(1954年3月生)、つくづく年月は知らない間に経過して行くものと思うが、久しぶりに苦難の時代の青春のアイドルに巡りあえたような気分だ。活躍を祈る。
※画像は、若き日の吉沢京子。「京子ファン」http://kyokofan.hp.infoseek.co.jp/からお借りしました。
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