2008年11月20日木曜日

実母の死をその戦前同窓生に知らせる・・・(実母の尋常高等小学校時代アルバム①)

  一昨日、故実母が昭和14年に卒業した篠栗尋常高等小学校高等科同窓生49人に喪中ハガキを送った。もちろんこの人たちの誰1人として面識のある人はいないが、それでも8月に病没した母の死を知らせておこうと思った。
  この同窓生名簿に気付いたのは、つい最近のこと。母の死後、書類類を持ち帰り、確定申告や相続手続きに必要な書類を抜き出し、それ以外の書類はそのままにしていたが、その書類の山のなかに同上小学校同窓会アルバムがあり、その中にこの名簿が挟まっていた。
  母の遺品は、すべてその弟妹や後夫の子どもたちにあげたので、私は、書類以外には遺品となるような品は何一つ持ち出していなかった。それだけにこの書類の山の中にこの名簿があることに気付いたとき、これは、きっと母が同窓生の人たちに喪中ハガキを出して、自分が死んだことを知らせてくれと言っているのだと思った。
  この同窓会名簿は、昭和60年作成のアルバム購入者50人の名簿であった。したがって名簿の住所は当時のもので、旧地名や、地番のないものも多い。このままでは郵便物は届かないと思い、各地の電話帳その他で調べたりしながら、徐々に正確な住所に近づいたが、それでも分からない所は名簿のまま書いた。
  ただ、皆さんが後期高齢者であるため、現在、生存されておられるかどうかは分からない。「宛所に尋ねあたらない」として返送されるものもあることを覚悟の上で投函した。
  なお、母が篠栗尋常高等小学校を卒業していたことなどまったく知らなかった。あまり過去のことを話さない人だったが、私も母に過去の人生を尋ねることはなかった。
  考えてみれば、母は、同上小学校を卒業して、3年後に結婚、4年後に出産、5年後に夫戦死…、戦中期の暗い青春時代を経て、戦後は過去を振り返らないように心に決めて、ひたすら前のみを向いて、青春を取り戻すべく生き抜いたのかもしれない。
  次回機会があれば、アルバムを見て感じたことを書き留めたいと思う。

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