2008年12月9日火曜日

自らの信奉との決別(実母のアルバム⑨)

  母の某社信奉は、その死の1か月ほど前まで続いた。しかし、死を意識していたのか、会員継続を「もうしないでよい」と口にして更新せず自然脱会した。折もおり所属していた支部が、本部から離脱し別会社を設立したことも決断を促す一因になった。
  最後は、実子の私にすべてを託し来世への引導を渡してもらうしかないと思ったようで、そのためにも死ぬ前に、私が関係していないこの社への信奉を整理しておこうと考えたのではないかと思う。その頃には、自分が死んだ後、S霊園に遺骨を納骨できることが分かり安堵するなど、死を意識していたことは確かであった。
  私が仕事などで帰りが遅くなったり、疲労で休んだりして病院に顔を出せない日があると、翌日必ず病床から携帯電話をかけてきた。それほど気が弱くなっていたのだろうが、やはり最後に面倒をかけ頼ることのできる人は、私しかいなかったのである。
  母が死に、母とは姓が違ってはいたが、葬儀の喪主になる人は私以外にはいなかった。まず病院の霊安室での供養から始まる葬儀一切を、私が導師となり仏式で行うことにした。病院から葬儀車で死体を母の自宅に運んだ。
  居間に敷いた布団に寝かせようとしたとき、布団に大きな同上社のロゴの入ったシーツが敷いてあったので、すぐに取り除いた。「誰がこの毛布を敷いたのですか」と尋ねたら、Bの妻(同社会員)が「姉さんをこの毛布の上に寝かせた方が喜ぶと思ったので」と言った。
  母は、生前、常々同社は宗教ではないと言っていたので、供養法まで口をはさむことはない。だが、その会員が喪主に断りもなしに、自分の考えで勝手なことをしてはいけない。私は、「母は、死ぬ前にそこをやめています」と言った。
  余談だが、母は、生前、私や私の家族の健康を願いゴールド会員にして、ゴールド会費を払ってくれていた。数回、母を私の車で所属支部まで送迎したこともあった。母は、同社の健康食品(サプリメント)を販売する指導員になっていた時期があり、この商品仕入れ等に相当の金銭を使っていたようである。
  葬儀が済んで数日後、同社に詳しいBが合鍵を使って母の留守宅に入り、大量に買い置きしてあった健康食品(仕入れ伝票、領収書、電話早見表を含む)のすべてを持ち出した。1か月後、Bを追求したところ、「K町の会員に全部あげたら喜ばれた」「伝票類は燃やした」「早見表はちょっと連絡したいところがあったので」と答えたが、健康食品の量は1人の人にあげて喜ばれるような半端な量ではない。それらを売りさばくために伝票、早見表も必要だったと考える方が妥当である。仕入れゼロで販売すれば売り上げのすべてが儲けになる。母は一体誰のために、これらを大量に買っていたのかと思う。母は生前、Aが健康食品も狙っていると言っていたが、実際に狙っていたのは母が信用していたBだったということになる。母の周りには信じるに足るような人はいたのだろうかと思う。
  ただ、同社会員の中にも親友といえる心の友、高齢のUさんがいた。晩年の母にとっては救いであった。何かと電話やハガキで励ましあっていたようで、人生の最後にこのような人にめぐりあえたことは幸せだった。そのUさんとは、私も数度、電話でお話したこともあり、今でも感謝している。
 ※画像は「クリップアートファクトリー」http://www.printout.jp/clipart/clipart_d/03_person/02_woman/clipart1.htmlからお借りしました。

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