2008年12月3日水曜日

一時生還(実母のアルバム⑤)

  母が転院して間もなく、呼吸困難に陥り一時危篤状態になったことがあった。
  その日、Aが私に電話してきて、「どう考えてますか」と尋ねた。「どうって何のこと?、葬式のことを言っているの?」と聞き返すと、「そうです」。
  私は、「葬式の喪主は私がする。葬式費用も全部、私がつごうする。ところで、君は、母の生活の面倒を見てくれていたようだが、母に預金があったかとかを知っているのか」と尋ねたら、Yは「私は、そんなことにはタッチしていませんので、まったく知りません。調べてみます」と答えた。
  思わずAが口にした意味不明の言葉、「調べてみます」の意味は?。Aにしてみれば、このやり取りで私が母の預金のことを知らないことを確信して、思わず口にした言葉であった。チャンス到来、かねてから持っていた合鍵で母の留守宅に入り、金庫のなかにあった現金と預金を持ち出した、と推測される。
  母がこのまま死んでいれば、この問題は表面に出ることはなかった。しかし、母を守護する神仏は、そうはさせなかった。母の生きようとする生命力の方が強かった。医者は、「この病状で生きている方が不思議」と言った。
  死の淵にいた母の魂は、確実にAの動きを見ていた。生き返った母は、すぐさまAに電話して、「金庫から持ち出した私のお金を返しなさい」と言った。Aは、慌てて、引き出して銀行預金の一部を戻し入れをしたものの、その後、一切病院に近づかなかった。母は、Aのことを「泥棒」と言い出した。
  それでも、私は、一切この問題に立ち入らなかった。そんな私の態度に業を煮やしたのが娘だった。「母から、この問題を解決して欲しいとは頼まれていない、頼まれてもいないことには口出しはできない」と言う私の態度に対して、娘は、「お父さんがそんな考えだからAにいいようにされるのだ」と怒鳴った。
  翌日、母に、そのことを話した。母は「頼む」と言った。真実を確かめるべく、母から金庫のキーを預かった。母の弟(叔父)に立ち合わせて金庫を開けようと思い、叔父に電話をしたところ、「俺も姉さんに頼まれて金庫を開けたが、年金証書などの書類以外は何も入ってなかった」と言われた。母が叔父に金庫を開けることを頼んだという話は聞いてなかったので、後で母に尋ねたが、母は記憶にないと首をひねった。金庫の中は、叔父が言ったとおりだった。
  母の預金があった銀行、郵便局は、ともに担当者が、通帳・印鑑紛失による再発行手続きのための本人確認をするために入院中の母を訪ねた。キャッシュカードを作っていなかったので、Aが一部銀行で母の預金通帳を使ったことは目撃されていた。銀行は、「紛失ではなく盗難にしましょう」とアドバイスしたが、「犯罪者は作りたくない」と言った。
  ここまで確認がとれた以上、黙って見過ごすことはできない。母に「これからAに連絡して会って話す」と言うと、「あんたは、すぐに喧嘩を始めるから、喧嘩だけはしてほしくない」と言い、Aの取引先のY氏に電話をしてくれと言った。母の携帯からY氏の携帯に電話した。留守電になったが、折り返しY氏から電話があったので母にかわった。母が、涙ながらにY氏に訴えた。
  急転直下、翌日、Aが私に電話をしてきた。「おばちゃんから預かっていた預金通帳など返します」。私に母の預金のことなど「まったく知りません」と言っていたはずなのに、知りすぎるほど知っていたことになる。ただし、会って返金してもらった現金額は、母が言っていた額の1割で、葬式費用も出ない額だった。
  もちろん、喧嘩はしなかったが、これでAとは縁切りだと思った。Y氏にお礼の電話を入れた。この問題が決着した後、母は、その現金と預金を私に渡して死んだ。最後は、私を信じるしかなかったのか。さほど孝を尽くした息子ではなかったのに。しかし、母は死ぬまで、Aを許してはいなかった。母に近づいてくるので、Aに頼ったところもあったが、心から信じてはいなかったようだ。親族筋からAに葬式の連絡は行ったが、Aとその家族は誰も来なかった。来れなかったのだと思う。

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