正見行脚
2008年12月23日火曜日
プログ移転
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このところ、下記ブログと同じことばかり書いているので、重複して恐縮することしきり。したがって、当分の間、下記にまとめたいと思いますので、登録を下記アドレスに変えてください。 お願いします。 ブログ名は、同じ 「正見行脚」 としています。 http://blo...
2008年12月19日金曜日
吉野山に前登志夫さんの歌碑が建立された
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12月7日に、たまたま目にしたブログ「短歌と英語大好きのおばさんの日々」に「前さんの歌碑が、吉野山の金峯山寺の境内の南朝皇居跡公園に立てられたという記事があった。刻まれた歌は、さくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへり 歌集「青童子」より ご自身がわか...
2008年12月11日木曜日
朝日新聞Miss Saigonメッセージに新妻聖子
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12月1日から朝日新聞西部本社版朝刊に、来春1月5日から博多座で公演されるMiss Saigonのプリンシパル24人のメッセージ広告が掲載されています。枠は小さいがカラーで載っているので、すぐに目に付く。毎日、楽しみに見ているが、今日は、新妻聖子だったので嬉しかった。メッセー...
生涯かけて正見行脚(実母のアルバム⑪)
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母は、別の意味で、私に「何度も裏切られた」と言ったことがあった。思い当たることは多々ある。 私は、幼少のときから養母の元で育ち、養母に対する想いは人一倍強く、また恩義も強く感じていた。この心がいつもブレーキとなって、実の母には、接近しては離れる、を繰り返し、心底から気持ち...
2008年12月10日水曜日
「けじめ」をつける(実母のアルバム⑩)
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母の身内に心から母のことを慕い、心配してくれた人がいたのだろうか。母が残した書類の中に、CやDの金銭借用書があった。母が常々「お金を貸したが返してくれない。あげてもいいと思ってはいるが、貸してくれと言って借りたのだから、いったんは返すのが筋。それがけじめ」と言っていたが、その...
2008年12月9日火曜日
自らの信奉との決別(実母のアルバム⑨)
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母の某社信奉は、その死の1か月ほど前まで続いた。しかし、死を意識していたのか、会員継続を「もうしないでよい」と口にして更新せず自然脱会した。折もおり所属していた支部が、本部から離脱し別会社を設立したことも決断を促す一因になった。 最後は、実子の私にすべてを託し来世への引導...
2008年12月7日日曜日
絶縁10年を経て母と再会(実母のアルバム⑧)
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実母との交際を絶って10年後、母から「主人が死んで丁度10年経ったからもう会ってくれもいいでしょう、相談があるから来てほしい」と電話があった。 縁を切っていたはずだが、母の方から「相談がある」と言われると、そこにはどうしても説明の付かない気持ちの動きがあった。そして、母の...
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