5日に見たTV「デット・ゾーンseason2」でのことだが、サイキックのスミスが、ボクサーのダニーと握手したとき、ダニーが次のボクシンングの試合中、最終ラウンドにリング上で死ぬ光景を見てしまったことからドラマが展開する。
スミスは、何とかこの試合をやめさせようと行動するが、その行動がかえって誤解を生み、事態は悪化し行き詰まってしまう。そんなとき、友人から「希望を現実にするには信じることだ」と言われる。
この言葉を聞いてスミスは、発想の転換を図り、今度はダニーに「君は死なないで勝つ」と今までと反対のことを言い出す。そのように自分が思い込むことで、先に見た光景を打ち消そうと思ったのである。
果たして試合は、最初に見た光景のとおりに展開し、ダニーはリング上で昏倒する。しかし、カウントアウトになる前に起き上がり、今度は見違えるように相手を攻撃しロープに追い詰めるが、試合終了のゴングが鳴る。判定の結果、ダニーは試合に負けたが、死ななかった。
試合後、友人から「どこが(生死の)分かれ目だったと思う」と尋ねられ、「小さな変化によって全てが変わるんだ。変化したのは君のお陰かも。信じたいと願うものを信じるんだ」と答える。友人は「信じることが別の誰かを動かしたんだからね」と言って立ち去る。
その後、ダニーと次のような会話を交わす。「言っとくけど俺は負けたよ、でも俺は死ななかったし」「相手はゴングに救われたようだった」「そうかもしれない、だけど、どうだろう、サイキックとしてはまずいんじゃないの」「そうだな、悲劇だよ、本当に」。
このTVを見ていて凄いドラマだと思った。確かにサイキックが予言したことが予言どおりにならないとサイキックとしては失格かというと、そうとばかりは言い切れない。それが悪い予言であったら、それを聞いた人は、そうなってはいけないと強く自分の意思に言い聞かせて、それを信じることにより、悪い予言を好転させることができるからです。
しかし、これを自分たちに置き換えてみると、なかなか自分の意思を強く持つとは至難なところがあります。そんなときは、ご先祖やご先祖に関係のある神仏に懸命にお願いし、すがることです。いわゆる苦しいときの神だのみですが、これが大事だと思う。
苦しいときの神頼みが、自分の信心に対する「小さな変化」であった考え、それによって救われることができたら、きっと「別の誰か」、つまり目に見えない先祖や神仏が動き、その働きがあったと信じることができるようになるかも知れないからです。
ただ、このサイキックをまねて、自分たちが売っている物を信心しなければ死ぬなどと言って恐怖感をあおる嘘の霊能者による霊感商法が横行していることには強い憤りを感じます。
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