「五月・浜宮祭斎行」の記事(機関紙宗像6月号)を読んでいて思い出したことがある。
宗像75社探訪修行時代、炎天下のなかで浜宮(宗像市神湊)の場所を探していたときのことだ。釣川河口から砂丘上の道路を神湊の中心地に向かって進んでいたとき、右方向に、浮島のように盛り上がった樹木の茂る丘陵が見え、そこに神域を示す赤い木柵が並んで立っているのが目に入った。
その近くまで行かなかったものの、てっきりそこに浜宮があるものだと思いこみ、その日同行していたK教師と共に同所に向かって合掌、遥拝した。
ところが、それからあまり日を空けずに、再び同教師と共に同所を訪れたとき、まったく赤い木柵など立っておらず、それらしきものがあった形跡もないことに気付いた。二人とも呆然として立ちすくんだ。私たちは、前回、二人して幻の赤い木柵を見ていたのだろうか。
そして、浜宮の社祠のある場所が、反対側の樹林に囲まれた砂丘の丘陵上であることに気付いたのは、その後、しばらく経て同地を訪れたときのことだった。
もともと浜宮とは、皐月祭(早苗月の信仰)を行う5月5日に釣川河口の海上に設けられた浮き殿造りの社殿であったらしい。そこを「濱殿」と称し、皐月祭のとき、田島宮(辺津宮)に集結した宗像五社(宗像三宮と許斐宮、織幟宮)の神輿が御神幸したという。
この「濱殿」が置かれた場所が、現在の浜宮や五月宮(宗像市江口)のある場所ではないかと推測されているというが、現在の五月宮のある場所は「濱殿」としては、標高がありすぎるように思える。
何の確証はないが、ひょっとしたら私たちが赤い木柵の幻を見た場所は、その「濱殿」のひとつであったかもしれない。そのことを神霊に教えられていたのかもしれない。これも不思議な体験のひとつである。機会があれば再度訪れる必要があるのかも知れない。
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