2008年6月16日月曜日

筑紫舞との出会い(4)

  筑紫舞伝承後援会の三隅治雄相談役の講演を聞いて、古田武彦著「よみがえる九州王朝」に書かれていた内容を思い出していた。足腰を使って飛び跳ねるような振り付けは、流暢な日本舞踊にはない筑紫舞独特の舞であり、これが古代九州王朝の古代舞だという。
  古代九州王朝の存在の可否には賛否両論があるが、私は、八女市で開催されている「磐井」の演劇を見て、九州王朝の系譜に筑紫の君磐井がおり、磐井は九州独自の年号(元号)を持って君臨していたが、継体の反乱に敗れ九州王朝が消滅したという説(反乱を起こしたのは磐井ではなく継体であるとの説)に共鳴している。
  公演の出演者小照には、古田氏の著書で見た西山村光寿さんや筑紫さん(上の画像)の名がなく、総帥西山村津奈寿さんと大師範西山村邑寿さんの名があった。宗家西山村光寿斉(本名は河西[旧姓山本]光子)さんは、当時81歳と聞いたが、まだまだ元気で、今後も古代九州王朝の宮廷舞を伝えて行かれることを願った。
  戦前、宗家に筑紫舞を渡した菊邑検校や傀儡子と言われた無名の舞い手たちは、戦争を境に消息が絶えたという。こうして残された古代九州王朝の宮廷舞のすべてを宗家ひとりが引き継ぐことになり、後に福岡に移り住み、九州で筑紫舞を舞い、絶やすことなく後進に伝えていく、これを自らの余生の使命とされたのだと思う。(次回につづく)

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