2007年12月20日木曜日

宝塚ミュージカル「長崎しぐれ坂」を観て

  BS2で放映された宝塚歌劇星組公演のミュージカル「長崎しぐれ坂」(榎本滋民作「江戸無宿より」)の録画(2005年のもの)を繰り返し見ていたら深夜になっていた。
  この物語の筋はともかくとして、謡曲や三絃ほかのお囃子が入る日本歌舞伎の舞を思わせる「プロローグ(神田明神祭り)」、長崎情緒たっぷりの「蛇踊り」と「丸山花街踊り」や「精霊流し」等の舞踊についつい見とれてしまった。なかでもで仙堂花歩が「花の遊女」を歌い、松本悠里(専科)が花魁姿で舞う「丸山花街踊り」はすばらしかった。太夫(こったい)といわれる花魁が赤色の右襟を見せて着物を着るのは正五位という高位にいることを示している。
  当時の星組女役のトップスター壇れい(おしま役)は、どこか女優宮沢りえに似た感じのする人で、その芸者姿を観ていると、故養母のことを思い出した。養母は、花柳小菊、若村麻由美に似た人で、和服を着こなし、舞踊や調方の三絃、筝などの芸ごとを一通り修めた人だった。また宝塚その他の歌劇の観劇も好きだった。私の歌劇観覧好きは、この養母の影響があるのかもしれない。
  今、一番素敵に思っているミュージカル女優は新妻聖子だが、若い時代は、宝塚星組の元男役トップスターだった寿美花代が好きで、財布の中味を気にしながら日比谷の宝塚劇場に通ったこともあった。ただ切符売り場の前で、女性ばかりの列に並んでいるとき恥ずかしいと思ったこともあった。
  現在、毎夏大濠公園能楽堂で行われる西山村光寿斉の筑紫舞定期公演を観賞したりはしているが、最近、小学生の孫が日本舞踊を習い始め、1月にある発表会で藤娘など2曲舞うと聞いて、かなりびっくりした。この孫は、どこか上述の養母の仕草と似たところがあるので、その見えない養母の手ほどきがあればかなり上達するのではないかと思っている。
  「長崎しぐれ坂」の舞台は、長崎唐人屋敷で、この地区一帯は中国南京地方の海難守護神である媽祖神(天后聖母)等に守られた坂の町であったことを思い出した。唐人屋敷の出入り口にある広馬場商店街の道筋をしぐれ坂と言ったのだろうか。
  「丸山花街」は、東検番愛八(松尾サダ)がレコードに吹き込んだ「ぶらぶら節」(吉永小百合主演の映画がある)の舞台だが、その歌のなかにある「遊びに行くなら花月か中の茶屋、梅園裏門たたいて丸山ぶらぶら」の歌詞に沿うように、以前、思案橋電停から花月へ、坂道を登って梅園天満宮、中の茶屋あたりまで歩いた記憶がある。
  また、以前、「精霊流し」を持ち歌にする長崎出身の歌手「さだまさし」作のテレビドラマ「精霊流し」を見たことがあるが、このさだまさしが長崎市内で経営していた喫茶店(現存不明)に行ったことも思い出した。「蛇踊り」の発祥は唐人屋敷土神堂と聞いたこともあるが、現在その主舞台となっている諏訪神社にも数回参拝したことがある。
  今月初めには長崎市内の某家の仏壇供養に行くなど、これまでたびたび長崎を訪れているものの、未だ「精霊流し」や「蛇踊り」等の実物見学の機会になかなか恵まれない。
  なお、「長崎しぐれ坂」の脚色・演出は植田紳爾、当時の男役トップスターは湖月わたる(捕り方卯之助役)で、選科の轟悠(無宿人伊佐地役)が主演。
  また、檀れいは、この作品を宝塚退団公演とし、退団後、映画「武士の一分」にヒロイン三村加世役で出演し主役木村拓也(三村新之丞役)をしのぐ好演技をした。最近では「母べえ」(2008.1.26全国ロードショー)に野上久子役で出演し演技派女優としての道を確立しつつある。

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