考えてみると、緒方三郎惟栄に対する私の想いは、かなり古い。
① 我が家の古い先祖の発祥伝承地の一つに熊本県菊鹿町松尾(松尾神社あり)があるが、この地を菊池氏が統治した時代に、菊鹿町にある相良観音(天台宗相良寺)で修行をされた先祖がいる。この相良寺は、平安時代初期に建立され、山上山麓に諸堂宇を整えた大寺院であったが、平安末期、緒方三郎惟栄に攻められ兵火で焼けた。その後、焼け残った千手観音坐像を山上から山麓に下ろし、菊地武光が寺院を再建、近世熊本藩主細川氏の庇護を受けたという。
私は、昭和62年5月17日以降数回この相良観音参拝に行き、山上旧地には守護神に導かれ2度登り、旧本堂下壇跡や霊窟で礼拝をしたこともあるが、初めて行ったときに、この緒方三郎惟栄の名前を記憶したのであった。
② 緒方町に隣接している竹田市岡城跡で行われた金峯山寺五條順教管長導師による大護摩供に2度参加し、一度目のときに管長旗旗手を勤めたが、この岡城は、鎌倉時代初期、緒方三郎惟栄が、源頼朝と対立した義経を迎え入れるために築城したとの伝承がある。
③ 緒方三郎惟栄は、惟義とも書き、源平の戦いで松浦党の水軍を味方にしたと聞いたが、私の家の家紋は松浦党の丸に三星である。惟義の一字義は私の俗名と同じである。
④ 松尾大社と大和大神神社とは関係があるが、豊後大神姓緒方三郎惟栄の五代前の姓祖大神惟基の父良臣は大和大神神社から出た大神氏ではないかと思う。
私の正見行脚の修行で度々緒方三郎惟栄に行き当たり、いつしかこの名前に言い知れない想いが出来ていた。本日の緒方町の霊地行脚により、緒方三郎惟栄の輪郭の一部がやっと見えてきた感じがした。
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