10月7日、幸袋工作所跡に駐車し徒歩数分、遠賀川に向かう旧町並みの一角に旧伊藤邸があった。大寺院を思わせるような長屋門の右柱に「旧伊藤伝右衛門邸」と書かれた真新しい門札が掲げてあった。麻生太郎衆議院議員の達筆の揮毫である。石炭最盛期、麻生太郎議員の祖父太吉氏と伊藤伝右衛門とは深交があった。
柳原白蓮(燁子<あきこ>)が起居した北棟奥の二階の部屋はニ間続きで、広大な回遊式日本庭園のすべてを見渡せ、かつては遠賀川の川面も見えていたという。白蓮はこの部屋で約10年間、何不自由のない生活をしていたのだろうが、恋の歌を作る以外には楽しみもなく孤独だったのかもしれない。それが、後に別府の別邸あかがね御殿で宮崎龍介との不倫事件を起こすきっかけとなったのだろうか。それにしても若き日の白蓮の顔写真を見ていると、妻の亡祖母の若き日の顔立ちとあまりにも似ているので驚いた。
庭園は、泉水に掛かる小さな太鼓橋を左に見ながら、その中央部分にある茅葺の東屋まで遊歩できる。庭園の周囲を覆っている樹齢300年と言われる天蓋松は見事、また大小合わせて19基ある石灯篭にも目を見張るばかりであった。この石灯籠のなかには、白蓮が結婚時に持参したものもあると聞いた。時間があれば、この石灯籠の一つ一つをじっくり観賞するだけでも味わいある。庭園から見上げる邸宅も風情がある。
旧伊藤邸を飯塚市に買収させるために旧伊藤伝右衛門邸の保存を願う会を組織し奔走されたの深町純亮<ふかまちじゅんすけ>氏は、嘉穂高校郷土部の大先輩で麻生炭鉱史を編纂された。私は同部OB会に出席したとき、氏の講演で旧伊藤邸の話を聞いて以来、行ってみたいと思っていた。図らずも飯塚市の自宅跡の草抜きに行き、その帰路訪れることができた。邸内は、観光客であふれ大混雑、白蓮の部屋にいたっては、40人ごとの順番待ちという有様で、ゆっくり味わって観賞するというような雰囲気ではなかったが、これだけ多くの人々が訪れる邸宅を保存されたことには感嘆の極みであった。きっと伊藤伝右衛門の霊が、深町氏に乗り移って、この熱烈な行動を指揮されたのではないかとすら思えた。
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