機関紙「宗像5月号」の「氏八満神社春祭」の記事を読んでいて、神霊を感得する法を求めていた頃に体験した不思議な出来事を思い出した。
ある冬、氏八満神社鳥居前に車を停め、下車して鳥居をくぐろうとしたとき、その真下で金縛りのような状態になった。誰かに額を抑えられているような感じで足を前に踏み出せない。不思議なことに、後には下がれるが、前に進めない。数回、後ろに下がっては前進を試みたが駄目だった。
まったく意味がわからず、車の後部を鳥居に向けて停めたのが御無礼になっているのかと思い、車を逆転して改めて挑戦したが結果は全く同じであった。鳥居の下に目に見えないバリケードが張られているような感じであった。
どうしても納得できず、日を改めて再度行った。今度は、宗像大社駐車場に停めて歩いた。外気が凍るように冷たく、鳥居前に着いたときは、耳が切れるほど痛んでいた。にもかかわらず、結果は、前回と同じで、またもや鳥居下で前進を阻まれた。
このとき、神霊を感得したいと求めていた心に、体で神の霊力を感得させられたことに気付いた。また、神域との結界を示す鳥居の重要性を認識した。修行をしている者が、鳥居の先にあるものを見窮めることもせずに安易に鳥居をくぐるなと言われているように感じた。
その後、神社の境内に入らず鳥居前で神霊を感得する修行を試みるべく宗像75社(実際は宗像郡・市を越え108社に及んだ)を巡った。この修行の年月を経て、再び氏八満神社を訪れたときは、何の抵抗もなく鳥居をくぐることができた。神霊に導かれるようにひたすら急な山の斜面を上下した記憶があるが、神殿を参拝した記憶がない。
それ以後、同神社に行ったことがないが、今回「宗像」を読んでいて、初めて、宗像氏貞の家臣に暗殺された菊姫、山田局、侍女四柱が祭神であることを知った。氏貞は、後に暗殺の舞台となった山田(宗像市)に増福院(曹洞宗)を建立し、6人の怨霊を鎮めるために六地蔵尊を安置して回向したが、宗像大宮司家の嫡流はこの氏貞の死で断絶した。
宗像大社の神域の一画に怨霊社があるのが不思議にも思えるが、私にとっては、上述の不思議を戴き、さらに多くの不思議を戴いた宗像75社巡拝の出発点となった神社であった。今「宗像」の記事を見て、このことを思い出したのも何かの知らせであると思う。改めて意を決して再度巡拝する機会が近づいているのかも知れない。
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